1.ロシアの歴史とユダヤ
ユダヤ人とロシアの関係というのは、おそらくロシアの歴史を知る人ならば、少なからず興味を持たれるのではないかというくらい、複雑かつ繊細な問題であるといえる。
もちろん、歴史上の事実において世界的にユダヤ人が迫害されてきたということは何もロシアに限ったことではなかろう。そういった歴史上の事実については、ここで多くを割かなくても、おそらく懸命な読者であれば、いろいろな情報からご存知のはずである。よって、ここでは著者がモスクワで見聞し、実際にユダヤ系ロシア人と付き合って理解できた部分と意外と知られていない情報を中心に書いてみたい。
そもそも、革命前のロシアにおけるユダヤ人差別というのは、相当に熾烈なものであったらしい。日本人でも分かりやすい代表的な例を挙げれば、画家のシャガールが現在のベラルシアに当たる地方の出身であったそうだが、彼の初期の絵画を見れば一種独特の暗いムードに包まれた空気の絵からまず晩年では考えられないような、自身のユダヤ人として辛苦を舐めた時代を読み取ることができるだろう。特に、彼がロシアにいた時代に描いた作品のテーマに、いわゆる「宙ぶらりん連作」とでもいうべき作品群がある。全体的にトーンが暗く、テーマも理解しにくいせいか、ほとんど一般的に日本公開されてきた作品とは違い、馴染みがないのだが、男女が手を繋いでおり、片方だけが空中に浮いている薄暗いトーンの作品があるのだ。これらの絵画を解説してくれた現地の学芸員によると、これはまさにロシアから亡命する前のシャガール自身の心境を示すものだという。
また、「屋根の上のバイオリン弾き」という森繁久彌が演じた有名な舞台芝居の主人公もまたユダヤ人であるとおり、ロシアの各地でユダヤ人はロシア人と隔離された地域に住まわされていたらしく、ジプシーでも出入りできた首都のサンクトペテルブルクにユダヤ人は出入りを禁じられた時期もあったそうである。また、当然このことによりユダヤ人の進学も妨げられ、大学入学を許されるようになったのも大分遅れてのことだったと聞く。
どうしてここまでユダヤ人が当時の帝政ロシアで疎まれたのかを考えると、ひとつの原因に「宗教」の問題があるかと思われる。「ロシア聖教」が広く浸透していた時代において、彼らが頑なに「ユダヤ教」を信仰したことは、表向きの理由のひとつとして挙がってくるだろう。だが、それだけであろうか?という謎は消えない。このような時代には、「パグロム」という一種の虐殺・集団暴行・略奪なのようなものが頻発し、このターゲットになったのが、特定地域にいたユダヤ人であったということで、大変苦難の時代であったようだ。
一説には、ドストエフスキーもかなりユダヤ嫌いだったという話もあるらしいが、ロシア人とユダヤ人の相容れない部分は、両者と付き合ってみると、たしかに感じることができる。
話を歴史に戻すと、やがて革命が起こると、日露戦争という一幕で、明石元二郎大佐の大いなる活躍により、あのロシア帝国のアキレス腱が、ユダヤ人問題にあるということが既に認識されていたようだ。それで当時の優秀な日本人代表の明石大佐は、ロシア内外の政変を巧みに誘導するため、それまで鬱憤を晴らせずにいた国内外のユダヤ人の協力させて、資金提供などを受け、ロシア各地で暴動などが起こるよう工作活動を行う。当然、革命前にはスイスに亡命していたレーニンに対しても、資金提供したともいわれている。
今となっては、笑い草かもしれないが、当時は斬新な映像として誇ったエイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」などもまた、この暴動の様子をデフォルメして記録映画のように撮った当時としては画期的技術を用いた映画であった。そしてまた、このエイゼンシュテインも風貌から見ても、一目瞭然、ユダヤ系のインテリである。そして、東洋文化や歌舞伎に多大な影響を受けた結果、あれだけクローズアップや音楽と映像の一体化を目指したのだというのは、ロシアでもほぼ定説になっている。
大体、革命初期に活躍した歴史的人物の多くは、ユダヤ人であったらしい。なんでも、ユダヤ系の血縁というのは母系で続いていくものらしく、そういう点においては、レーニンもまたユダヤ人であったというし、失脚してやがては亡命先のメキシコで、スターリンが使わしたスペイン系の刺客に殺害されたトロツキーもユダヤ系でそれ以外のメンバーも多く含まれていたという。(しかし、やがて徐々に失脚したり、粛清されていくのであろう)
また、芸術家でも先程のエイゼンシュテインもユダヤ人なら、メイエルホリドという当時の先鋭的な演劇の革命家ともいうべき人物もユダヤ系であり、それ以外にも多くの優秀なユダヤ人が1930年代くらいまでは、ソビエト社会の中心的存在として各分野で活躍していたようだ。まったく、驚くべきことにソ連の文化の主要なメンバーのほとんどはこの時期に異常に固まって輩出されているので、その後しばらくは歴史的にも文化面での精彩に欠くように感じるくらいだ。
ところで、ロシアにおけるユダヤ人判別というのは、不思議なもので、だんだんと目が慣れてくると、日本人である自分にすら人相と苗字だけでユダヤ人かそうでないかは、判別がつくようになってくる。それは慣れのようなもので意外と簡単だ。逆に言うと、それくらい現代のロシアでも過去においても、ユダヤ人とロシア人の違いがまりにも歴然としているので、「あの人もユダヤ人、またあの人も実はユダヤ人・・・」といった具合に、驚くほど各界で著名な人が多いものである。
それから革命数十年経つと、文化的にも黄金期だったソビエト初期が嘘のように幕を閉じ、プロパガンダと異常な弾圧、糾弾、集団による個人の否定などの極端に左翼的な時代がやがて始まる。
(ただ、レーニンもまた恐怖時代までに、革命の決着がついた時点でロシア国内の上位100人前後の優秀な知識人を連行し、有無を言わさず海外に放り出したという話であり、実際にパリなどの都市にはそういう人々が存在していたという。もちろん、大半の人々が自分から亡命したのであろうが、敢えて知識人を選りすぐって海外に追い出したというのは、驚くべき事実だと思う。また、スターリンも第二次大戦前に、最も優秀な戦闘機パイロットの青年たちを粛清していたために、ドイツ侵攻を防げなかったという話も嘘か真か、ロシア人から聞かされたことがある)
これがほぼレーニンの死後、スターリンが独裁し始めてからのことであり、この頃から、一般人においても「ユダヤ人」というだけで迫害される可能性が高くなる時期と重なってくる。
それ以外にも、当然「言論の自由」がない社会であったので、人種に関わらず政府批判などしようものなら、翌朝には一家もろともシベリアに送られて影も形もないということが、頻繁にあったようだ。また、余談になるがスターリンは大のロリコンだったようで、モスクワ市内では毎晩のように相当数の少女が誘拐され、クレムリン内部の密室で、その部下の残虐獰猛な男に弄ばれた上に殺害されていたらしい。また、スターリンが夜型人間だったので、政府に関わる職務の人々も強制的に夜型の勤務をしなければならず、日夜逆転のような生活をしていた時代もあったそうである。
残念ながら、年代的にはっきりしないが明らかに社会主義国家ソビエトでは、ジェンダーフリーの先進的な実行国であったことも一部で知られているとおりである。この頃から、ロシアの男女の関係、家庭が崩壊し始めたといっても間違いあるまい。今の日本でも露骨な性差否定の狂信主義者たちが問題化しているが、ソ連時代には一種実験的要素もあってのことか、それよりさらに過激な形で、「家族」や「共同体」や「過去の秩序」をすべて否定せんがために、男女の結婚や家族の結びつきを混乱させるような法律などが作られた時期があった。(さらに追い討ちをかけるように、戦後に男性が戦死して少なくなったことから、女性が男性の労働力をうめる目的で一層社会進出していくことになる)
このジェンダーフリー的精神の話題とやや外れるが、この時代の大きな問題で今も禍根を残すのが、ソ連時代に激烈を極めた特定民族差別・虐殺の問題である。
スターリン独裁の時期には、明らかに民族浄化策に近い形でユダヤ人のみならず、一晩にして特定地域の民族が貨物列車に強制的に詰め込まれて、まったく違う地域に運ばれ、入植(?)させられたという事実がある。これに近い形で、どうも一部の当局から目を付けられたユダヤ人も家族をばらばらにされた上、ほぼ拉致に近い形で連れ去られた歴史があるという。一説によると、チェチェンなどのコーカサス系民族や、コサックなども強制的に居住区を移らされた過去があるらしい。コサックに至っては、もともとは農奴出身の自由な武装勢力として、南部ロシアの河川沿岸地方に暮らしていたのだが、やがて皇帝に召抱えられ、白軍側についていた歴史もあって、ソ連時代は目の敵にされ、多くが虐殺され、家族もバラバラにされたり、とにかく辛苦の時代を経てきたようだ。
実際、恩師の話によると、このようなことが原因になって、成人してからも幸せな家庭を築けない男性が多くおり、そのうちの一人が、恩師の父上であった。もし、このような話が信じがたいと思われる方については、パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」を読んで頂きたい。そこには、その史実に近い話が出てきており、ロシア人の歩んだ運命の悲惨さを追体験できること請合いである。また作品の中で感じられるが、ロシア革命の内戦時代のあらゆる階層の混乱が主人公の憧れたような、なんらの理想社会の到来をもたらさなかったという点でも、既に社会主義という大義名分が、相当初期の段階から挫折していたことが伺われる。



