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名将たちの教育論 8

第1章 軍人たちの教育システム

第5節 教官に求めるもの

(忍耐力を付与しよう)

 義務の遂行は容易ではない。あらゆる抵抗に耐えながら目標に向かって一寸でも前進しなければならない。辛抱が将兵に要求される。

辛抱の原則が教えている通り、辛抱は決意の本質から直接に導かれるものである。

「自分の希望をもって忍耐する人は勇気のある人である。臆病者はすぐに絶望する」(「ヘラクレス」ユーリピデス、紀元前422年)

ナポレオンの手紙集にある通り、勇気に次ぐ兵士の資質は忍耐である。将兵にとって辛いことに、"勇気"と"忍耐"は自然に身に着くものではない。意識的に自分に言い聞かせて押し付けなければならない資質である。勇気と同じように

「手の平に"忍"の一字を書いて飲み込み、耐えるしかない」

人間として最も苦しい精神的苦痛は侮辱を受けるときである。侮辱を受けても勇気と能力があれば怒りを起さない。しかし臆病と無能な人間は侮辱を受けると怒りを覚えることになる。しかし無能だから怒りは恨みとして心の底に沈殿してしまう。だから挑戦心は生まれず侮辱は精神の鍛錬には役立たない。

「君は兵士に対して心無い言葉、侮辱、悪態、下品な言葉を使ってはならない」(ド・ギソール仏元帥が息子の任官にあたり、1990年)

しかし屈辱は精神を鍛える。

「戦った。敗れた。また戦った」(アメリカ独立戦争における南部戦線の勇者、グリーン少将、1781年)

 筆者の座右の銘は1775年にワシントン大統領が決意を誓って友人へ送った手紙の文章である。

「忍耐と気迫は年齢を問わず事を成す」

失敗は手段方法の誤りと考え方の誤りに存在する。そこで教育にあたって教官は手取り足取りで成功のための手段・方法や考え方を教育しようとする。しかし、それでは被教育者は問題解決能力を増すことはできない。

「守(師の方法を守る)」
「破(師の方法から抜け出す)」
「離(師の方法よりも優れた自分の方法を編み出す)」

これは剣道の教育の三段階であるが、最初の「守」においても被教育は自分の納得と考えで師の手段・方法を取り入れなければ身に付かない。借り物の衣服を着たようになる。したがって教官の教育手法は「ヒント方式」となる。茶道のような日本文化の教育には"形より入る"手法が重視されるが名先生は"形"の所以を暗示的に説明する。

 日本の武道の教育方法は、しばしばこの手法が使われてきた。剣道において打ち込みの距離が少ない被教育者に対しては、打ち込みの距離を伸ばせと指導しても効果はない。毎朝、廊下の清掃に雑巾掛けをさせると足腰が強くなる。それで打ち込み距離が自然に伸びる。それに気付いて本人が足腰の鍛錬に工夫するキッカケを与えるような方法である。

「求められるまで、"仕方"を教えるな。"目標"だけを与えよ。これが教育法の原則だ」(パットン米大将)

 自ら納得した技術や知識が本物である。すなわち、

「本物の優秀は習性になっていなければならない。それは忍耐によって培われる」(アリストテレス)

(将校とは)

 平時における軍人は豊な生活を得られると想像することは大間違いである。世界中の軍人は蓄財できない。日本の武士たちも生活はつつましいものであって、妻女は生活の糧を助けるために内職したものが多い。

 "質実剛健"は武士や騎士の美徳である。

プロシャを西欧列強の座に登らせることに成功したフレデリック大王は1752年、「政治上の遺言」において

「将校を有事のために育成するには、平時において至当な評価を受けていることを楽しみ、それに見合った生活を可能とするだけでなく、名誉のために血を流すことに対する尊敬が必要である」

 将校を養う糧は、財ではなく尊敬である。政治家はもちろん国民も将校に対する尊敬の念がなくてはならない。

「今日から一人前の男になるにあたって余は諸君が生涯を通して良い海軍将校であると同時に紳士であることを期待する」(任官する青年将校に対して、ネルソン提督)

ナポレオン戦争におけるナポレオンの戦略・戦術を研究したアントワーヌ・アンリ・ジョミニは名著「戦略提要」(1838年)において

「質実剛健のエートスは平時の生活で養われる。それは将校のラベルなのだ」

 軍人社会はフリー・メイスンの社会に似た傾向がある。戦争ではないときには世界中の軍人に国境がなく仲間である。軍隊は発生論的に言えば国家と無関係な組織である(「軍隊は戦争機械」比較法史研究 第12巻)から世界中の軍人社会には将校の親睦互助会であり、研修会としての「将校団」が相互に交流を図っている。そこには国籍がなく階級だけが区分原理になる。 「階級とは、命令違反するときを判断できる能力に応じて与えられる」(プロシャのフレデリック・ウイリアム皇太子、18世紀初期)

その能力とは軍事的識能にほかならない。だから軍人の機能的な忠誠は"腕前"に捧げられる。

「国家防衛システムの骨幹は正規軍であり、正規軍の骨幹は将校である。彼らは軍の魂である。予算を縮小しても最後に残さなければならないものは"将校団"である。将校1名の価値は兵士1000名の価値がある。彼らは異質な人間の寄せ集めを同質の人間団体に変質させる唯一の人間である。政治家は将校団の育成・維持こそ国防政策の第一歩でなければならない」(1933年における議会証言、マッカーサー元帥)

 将校には4つのタイプがある。おそらく一般社会でもこの分類は適用できるだろう。

「将校は"頭脳明晰"、"勤勉"、"横着"、"鈍感"の4要素によって分類できる。一人の将校はこのうち少なくとも2つの要素を持っている。余は頭脳明晰で勤勉な将校を参謀大学に入学させる。ある特定の状況では横着で鈍感な将校が役に立つ。頭脳明晰で横着な将校は最高の指揮官として選定する。なぜなら彼は困難な決断を行うに必要な神経の図太さと英知がある。しかし、鈍感で勤勉な将校は"将校団"から排除する」(ハンメルステイン独大将、1933年)

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