第1章 軍人たちの教育システム
第5節 教官に求めるもの
(肉体的鍛錬を行なえ)
「健全な精神は健全な肉体に宿る。虚弱な身体は我侭によって造られる。虚弱な体躯の人が新鮮で剛毅な心をいつまでも持ちつづけることは難しい。それ故、健康で強健な体躯は貴重である」(普墺戦争、普仏戦争、第一次世界大戦で豪腕を発揮したドイツのフォン・デル・ゴルツ元帥)
教育において"強い心"を育成するためには肉体的鍛錬が必要であることを説いている。 「健全な肉体条件を持たない指導者は、通常、困難な情勢を克服しようとする意志を失うものである。体力に弱点を持つ指導者の弱気は組織にたちまち蔓延する。だからこんな指導者はただちに辞職させなければならない」(「大戦の回想」マーシャル米大将、1976年)
教育者は健康な姿を学生に見せなければならない。健康不良の姿を被教育者に曝すことは避けたいものである。
(義務感こそ第一)
「"義"とは、誠実に正しい行いを守り、悪を羞じることであって"利"と"罪"に対立する概念である」
したがって義務(duty)は"義"を務めることである。
「余は国家の第一の公僕である」(フレデリック大王)
の言葉のようにビザンチン帝国の最後の皇帝となったコンスタスンチヌス一一世皇帝は1453年、トルコ軍から包囲されたコンスタンチノープルから脱出を勧められたが
「余は勧告に感謝する。この首都から逃れれば、余自身にとって利があるだろう。しかし、余は脱出しない。教会の神を残し、神父を見捨て、先祖の墓地を見捨てて王冠を脱ぎ、窮地にある民を残すことはできない。―――余がこの地において死することは余の帝国に対する義務である」
と戦死した。キリスト教では、"義"の反対は"罪"である。したがって
「義務に無頓着な勇者の価値は危険に直面して脱走する臆病者と同じだ」(1815年1月8日、ニュー・オーリンズの戦闘においてジャクソン少将)
と言うことになる。
今日の日本の学校教育は個人の"権利の主張"を強調している。一般社会でも義務の遂行は謳われず、
「誰が責任をとるのか?」
の言葉が横行することになった。しかし、日本を占領したアメリカでは
「義務は権利や責任より重要である。なぜなら責任は分散や回避の言い抜けもあるが、義務には分散も回避もない。仲間から死刑にされよう」(ワシントン大統領から議長への手紙、1776年2月)
ワシントンは"独立戦争によって手にしようとした権利は手段であって、義務は目的である。目的を果たさないものに手段(生命の尊厳)は不要だから死刑にする"といっているのだ。責任は義務を果たしますという約束のようなものである。重要なことは権利や責任よりも義務の遂行である。
戦前の日本では
「人は何のために生きるのか?」
が教育の言葉として問われた。この世に生を受けたものは、世のため、人のために貢献しなければならない。それは人間の本然の使命である。
そのような青少年の仲間は、そのような貴重な人間の生命を傷つけ、殺害することは罪悪であると教育された。それが少なくとも明治維新からの日本の教育における原点であった。
"権利(手段)があるから義務(目的)を果たし責任を負う"という逆順の考えではなく、"義務(目的)を遂行するために権利(手段)がある"という正順の考え方である。
「御先祖様に申しわけないぞ!」
教育の原点は"生命の尊重"ではなく、"生存の意義(使命)"であったのだ。この考え方の違いは大陸国家の歴史と島国の日本の違いから生まれたものである。大陸国家では、生存そのものが困難であったのだ。
"御先祖様に――"という言葉には、多くの名将たちや哲学者フィヒテと同じように個人に対する認識を、単に現在生存している個人ではなく、先祖から子孫に連なる血縁の中の"拡張された自己"とする考え方が含まれている。その認識が日本の伝統なのである。
そして"申し訳ない"の言葉には、御先祖様の名誉という認識が含まれている。
「恥じを知れ!」
は現存している個人自身だの恥じではなく、御先祖様の恥じが含まれているのだ。だから恥じを濯ぐためには、個人の生命は鴻毛より軽いということになる。
戦前の日本では、青少年が世間から非難されるような悪業を行なうと、
「世間様に申し訳ない」
という認識が教育指導の原点に使われた。個人は自由であるが、その行為や態度が社会の秩序を破壊することは許されない自由であることを意味していた。アメリカの民主党の基本思想である"社会リベラリズム"とほぼ同じ考え方である。
南北戦争を戦った南軍でも
「義務は我々の最も崇高な言葉である。最善を尽くして義務を果たせ!」(南軍のリー大将) 「財貨は栄華をもたらすが、義務のみが栄光という名誉をもたらす。だから義務は俺たちの奪取目標であって、結果は神のものだ」("石壁"・ジャクソン中将、1862年)
と北部に比して国力半分にも満たないにもかかわらず1861~65年まで4年間、祖国の生存を戦争目的にして戦った。
北部は最終的に南部の滅亡を戦争目的とした。第二次世界大戦の日本とアメリカの戦争目的と戦争期間がそっくり同じである。
1805年10月21日、トラファルガーの海戦に傷つき死を前にしてネルソン提督は
「神に感謝します。余は義務を果たすことができました」 陸軍砲兵の合言葉"最後の一門"は世界共通である。大砲は最後の一兵となっても撃ちつづけなければならない。それが砲兵の義務である。なぜなら弾先には味方の砲兵の支援を期待して歩兵が敵陣に肉薄しているからである。
「義務の観念は勝利をもたらす」(F.V.レナタス)
とは言え、義務の遂行は生命がけになる。生命の尊重という権利を投げ捨てるのだ。1944年、アーンヘムの戦闘における第一空挺師団の犠牲に対してチャーチル英首相は
「"無駄ではない"は生存者の誇りであり、戦死者の墓銘碑である」
「戦死することもなく、戦傷を負うこともなく目標を達成できなかった指揮官は義務を完遂していないのだ」(パットン大将、1947年)
日本の伝統では、世間様への"思いやり(礼の心)"を尽くすことが義であり、その先には"和の精神"がある。
"礼"と"義"意識がないまま進学試験に合格することのみに知育に努力を傾注すれば、教育の日々が日本の崩壊への道を歩むことになる。
「礼義なきは"非人"なり。人権ありとも村八分に処する」



