第3章 名将たちに学ぶ日本の教育改革
第2節 経世塾の必要性
さらにアメリカとイギリスの教育制度には、「大人のための教育機関」がある。それらは数多くの戦略・政策研究所である。今日、
「居眠り、立ち歩き、私語、無断欠席といえば学級崩壊の姿かと思えば、それは日本の国会の姿である」といわれている。その国会議員が深く研究した政策を立案するためにブレーン・グループを雇用すれば、年間の費用は1.5億円が必要と言われている。国会議員727名の合計では約1000億円を必要とする経費となる。
欧米では、様々な政策・戦略研究所が設立され、かつその研究所には指導者育成塾が併設されている。国会議員は、わずかな費用の支払いでテーマを示してこれらの研究所に政策研究を依頼することができる。だから個々の議員にブレーン・グループを持つ必要はない。研究所からは数個の選択肢が回答されるだろう。その選択肢から自分の政治信条に合致するものを採用すればよいのだ。
「政治家であろうと軍人であろうと評論家であろうと、指導者たる者は普通の人たちが持たない信条を持ち、全体像を明らかにし、それを具体化するシナリオを画き、人々に影響を与える力を持たなければならない。そして人生の年輪を増すにともない堅固に信条の実現に向かうことである。そうすればなんと非難されようが栄光を目指す人物としてオーラが漂うようになる。それが単なる趣味と異なる点である」(「剣の刃」ド・ゴール大統領、1932年)
日本の歴史を振り返れば、明治維新を前にして優れたシンク・タンクとしての政策塾があった。佐久間象山は1839年、江戸で私塾「象山書院」を開き多くの逸材を養成した。勝海舟、河井継之助、坂本竜馬、橋本佐内など素晴らしい面々である。
1855年には、「長崎海軍伝習所」が開かれ、将来の日本海軍を背負う逸材を生んだ。
翌年には、幕府が江戸に「洋学調所」が開設されて日本開国のリーダーを育てた。そして長門では、吉田松陰が「松下村塾」を開いて明治維新の気力の原動力となった。
1858年には福沢諭吉が江戸に「蘭学塾」を開き、西欧文化の導入をリードした。 今日、このような経世塾は「松下政経塾」をおいてほかにない。日本の教育システムの中で最終段階の教育機関として、このような政策・戦略研究所や経世塾が多数、設立される政策がなければ日本の将来はない。
2006年12月に改正された教育基本法における教育の目的には、フィヒテの思想に似て、「教育においては、日本の伝統と文化を尊重し、国家と郷土を愛する――」が書き加えられた。主権国家を人間に例えれば、家族(「戸」)は骨であり、国民は血肉だから、教育は国家と国民を一体的に認識するという立場をとっている。
しかし、これだけでは十分ではない。最も重要な教育項目は
「日本人らしさ=大和心」
の教育である。
おわりに
本質論が議論できないような教育は教育ではないだろう。有能な学生は海外の現実を学ぶことから、日本の発展に寄与するのである。
「余は"良い指揮をするためには、如何に服従するかを知らねばならない"という格言を信じない。それは逆である。服従を要求する者は、優れた指揮を知らねばならない。なぜなら不服従には確固たる強い心がある証拠だ」(セント・ヘレナにて、ナポレオン、1817年)
「服従を求める者は指揮法を知らなければならない」(「政略論」マキャベリ、1517年)
この論法を利用してみれば、世界平和の理想を実現するためには、先ず日本が平和主義でなけばならないと考えるのは机上の空論である。それは逆である。世界が平和になるためには、平和を実現する方法を知らねばならない。なぜなら、世界に戦争が起こるのは確固たる理由と信念があるからだということになる。
海洋国家は大陸国家のように四周を隣接国家によって囲まれていない。海洋を経て広く海外の事情を知ることができる。青少年が海外に進出して世界を知ることは眞に平和を実現する方法を学ぶ基本的な方法なのである。
海洋国家の特性を教育しよう。そうすれば、日露戦争から今日までの日本の指導者のように「国家戦略」の立案に右往左往しなくなるだろう。
情報化時代では、マスコミは大きい洗脳感染力を持っている。だから個人は自分で深く思索する能力がないと、マスコミに騙される。
「敵意ある報道は1000の銃剣より恐ろしい。しかし報道は部隊を撃破できない」(「剣とペン」リデル・ハートがナポレオンの言葉を引用、1976年)
「報道者(マスコミ)は将兵の血を飲み、食糧を食っている。それ以外に何も役立たない」(「兵士のポケット・ブック」ウォレイリー元帥、1869年)
イギリスから鮮血を流して独立を勝ち取ったアメリカ人は1776年7月4日の"独立宣言"において人間の基本的人権として
"生命と自由の尊重"、
"幸福の追求"、
"人民主権の政治"、
"革命権の保持"
を掲げた。そして
「自由・民主主義こそ国の政治制度のあるべき姿だ」
とした。革命権を掲げたのは、独立戦争がイギリスの植民地支配体制に対する革命であったからである。
アメリカは、このような基本的人権は神から与えられた自然権であるとしているが、日本の伝統的な認識では自然権の解釈が異なり、生命も自由も神とは関係がない。国家と国民の関係も"契約関係"とは認識していない。これは人間の権利を述べたもので、義務を述べたものではない。義務(使命)を果たさなければ権利を要求する資格がないはずだが――。
ビルマ戦線で活躍した英国のスリム元帥がいうように
「自由がなくとも規律は存在するが、規律(世間様)がなければ自由はない」
というのが日本の伝統的な認識である。自由は世間様と個人の関係なのだ。それは日本の伝統的社会の本質である"郷村"が育てた思想であって基本は「平等の掟」であり、その平等に秩序を与えたものは「礼儀=慎み」であった。
礼の基の字は「禮」で心の豊かさを示すことを意味している。心の豊かさとは、他者を愛する「仁愛と尊敬」の精神を持っていることにほかならない。すなわち、フランス革命のスローガン「博愛」に通ずる概念であって、それを具体的に示し実行することである。それはまた事に臨んで精神一到して当たることを意味している。 だから、日本社会では
「礼儀のないものは、人でなし」
と能力の如何を問わず蔑まれるのか伝統である。1867~69年に日本に滞在したセィヤー・マハン提督が日本人の優秀性を認識した第一の要素は、日本人の"礼のある社会行動"であった。
フランスの政治学者トクヴィルが指摘するように政治知識の未熟な人々の国では自由・民主主義が機能せず、付和雷同する政治となってヒットラーのような独裁者が誕生することになる。



