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名将たちの教育論 10

第2章 部隊の練成

第1節 規律の確立

「人間、二人寄れば心は三つになる。それぞれの心と一組の心である。だから我慢がなければ人間は扱えない」(「戦争の改革」フラー英少将、1923年)

 第一次世界大戦の末期にイキリス軍は大規模な戦車軍団による突破作戦を計画していた。フラー少将は、この攻勢の総指揮官に指名され、攻勢の準備を着々と整えていた。それだけにこの名言は"生々しい現実味"がある。学校教育で良い市民になれと教育しても、組織の心を理解できる人になれと今日の日本の学校教育で行なわれているだろうか?

「良い人は必ずしも良い市民とはかぎらない」(アリストテレス)

 個人々々の心が良くても夫婦2人の心は3つ目の心を生む。その3つ目の心が社会人として"協同の心"でなければ、その夫婦は良い社会人ではない。これを実証する例が今日の日本に何と多いことだろう。

 例えば、良い両親のもとで仲良く育った二人の兄弟がそれぞれ素晴らしい相手を見つけて結婚したが、その兄弟の家庭相互が不和な関係になったり、親子の関係が崩壊したりすることが無数にある。

 部隊訓練の本質は、この第三番目の心と心を結び付けることである。その方法は規律の確立にほかならない。

 軍律のない部隊は武装した暴徒であって、祖国にとって敵よりも危険な存在である。指導者は命令・指示に機敏に従うことをもって軍律だと感じ、多くの詳細な軍律を定めるべきだと考えるが、それは間違っている。軍律は少ないことが最良である。そして公平に処罰しなければならない。そうでなければ指揮官は嫌われる。人々は処罰の恐怖と同じように公正と博愛を望んでいる。厳正は親身を伴っていなければならない」(「随想禄」サックス仏元帥、1732年)

軍規の誕生は戦闘ドクトリン(得意技)からの要求である。軍隊の戦闘は個人の戦闘の積分ではない。得意技としてのチーム・プレーなのだ。だから戦闘陣形における"上下左右の協同連携"は絶対的な要求である。

軍律は、そのチーム・プレーの約束動作・行動のマニュアルを定めたものである。だからこの意味の軍律違反は許されない。もちろんマニュアルだから、その都度、プレーヤーはマニュアルを参考にして自分で判断しなければならない。もし、その決断がマニュアルの主旨に違反した場合の処遇の原則は処罰ではなく再度の強化訓練である。

もう一つの軍律は軍隊社会の文化の維持・発展である。軍隊が国家・社会から野獣の集団と認識されるようであれば、傭兵部隊は国家から雇われることはないであろうし、国民から構成された国家の軍隊であれば、国民からの信頼を失う。

「規律は命令や法令で造られるものではない。伝統が規律を造る。だから指導者は自戒して規律を守り、背中で教えよ」(「軍の精神と肉体」ピケ仏大佐、1921年)

このような軍隊社会の文化という意味での規律は法律ではない。将兵は何ものにも囚われず自ら考えるのが原則であり、軍規は判断の指南書に過ぎない。

「規律ある人は社会で生活できて個人の自由を保持できる。自由がなくても規律を維持できるが、規律なくして自由を維持できない。騎士道を守ること(Noblesse oblige)は軍人の衿持である。自制は人間の弱みを守ってくれる」(スリム英元帥、1957年)

 自由と規律の関係を見事に説明しているが、それは"最も良く統治されるものが、社会を統治すべきである"と説いているアリストテレスの教えでもある。この考え方が現実の世界に定着するには長い年月を必要とした。人間は簡単に自由と我侭を混同するものである。

「規律は軍隊や国民の精神である。規律を確立して維持することは、1日や1ヶ月や1年の仕事ではない」(ワシントン大統領)

第2章 部隊の練成

第2節 団結心の培養

(仲間意識)

 将校の良し悪しを見分けるのは簡単である。その方法は将校に彼の部隊の集合を頼むとよい。この将校という言葉を先生と読み替えても同じだろう。

「一声掛けたら笑顔で部下が集まるのは良い将校である。部下の集合が鈍く暗いのは無能な将校の証拠である」(「将校」ローマ将軍オナサンダー、58年)

「悪い連隊なんかどこにもない。悪い大佐がいるだけだ」(ナポレオン)

団結の原点は仲間意識である。それは血縁一族意識と別物で、地縁的結合と言ってよい。日本の郷村の思想であろう。

「団結精神の本質は平等である。だからこの精神は階級や職務の壁を取り払って上下に働く」(ビューラー米中将、1956年)

軍隊を発生史にみれば、先輩と後輩の協同がスタートである。戦う知識は文言では教えられない。"徒弟教育"がすべてといってよい。そこに生まれる感情は尊敬と友情によって結ばれる仲間意識である。そして

「友情は戦争(人生)における摩擦を少なくする」(リデル・ハート、1944年)

一般の学校教育においても団結精神の高揚は世界中の常識であって、学校を代表するスポーツ・チームを応援するのは団結の初歩的表現である。

もちろん仲間意識には歴史的経緯を伴う。最も歴史的時間のない仲間の例は入学直後の学生の同期生意識であろう。たまたま一緒にある学校に入ったという歴史的意味以外に原点はない。

「近代的軍隊の規律は、知性と仲間意識で造られるべきである」(「戦争についての思考」リデル・ハート、1944年)

 仲間意識が醸成する規律のスタートは平等である。しかし、人間の原始的な上下関係は年齢という経験の程度から始まる。経験は認識の始まりだから、人間は自然のうちに年長者を尊敬する。それが組織の中の兄弟意識である。

「余の第一の望みは国民がお互いに兄弟のような仲間意識を持つことです。そして互いのために生命を捧げる仲間になることです」(ワシントン「1798年、ヘンリー・ノックス氏への手紙」)

「将校が兵士とともに為すべきことは団結である。すなわち、わが連隊は世界中のいずれの連隊よりも一心同体と感ずることである」(「軍事についての遺言」フレデリック大王、1768年)

組織体が必然的に生み出す傾向は組織の中に数多くの小さな組織がそれぞれ団結することである。その小さな組織内組織が"組織防衛の心"を持ちはじめると全体組織の団結は分解してしまう。

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