第1章 軍人たちの教育システム
第1節 教育すべき人間活動の領域
禅の名僧、鈴木大拙師や哲学者マイケル・ポランニーが教える通り、人間は言葉や文字で自分の考えや感情、意志を伝達できる形式知の領域(writable world)と伝達できない暗黙知の領域(unwritable world)の両方の世界で生きている。前者は"有理の世界"であり、後者は"無理の世界"と言ってよい。 "無理が通れば、道理が引っ込む"というが、道理が常に正しいとはいえない。空理空論も道理という衣服を着て人間生活を破壊するし、理想論は、しばしば現実とかけ離れて二枚舌を作る。さらに理屈の言葉(ペン)は剣よりも強く残虐である。
人は言葉や文章で説明することができる形式知の領域での生活は、社会秩序を維持するルールとして「成文法や理論」を使用している。しかし、言葉や文章で説明できない暗黙知の領域には明文化された法律は存在できない。存在するのは「不文律」だけである。「不文律とは書けない(unwritable law)法律」である。書いていない法律(unwritten law)ではない。そのような不文律は伝統や歴史の経験則(原則)によって造られている。暗黙知の世界にもルールがあるのだ。
16世紀以降の欧米では、次の格言が活きている。
「恋と戦争は何をしても正当(All is fair in Love and War)」この恋と戦争は法律や理屈の枠外であって"原則として自由"である。しかし、恋の原則や戦いの原則に反すると失恋し、また敗北することは必定である。素晴らしい家庭を築く夫婦愛、親子愛の世界も筆舌に尽くせない暗黙知の世界である。
戦争もまた国家の対立を言葉と文章による外交で得られない妥協を戦場で獲得することだから"論(法)外"の世界である。言葉に悪口があるように力を悪用すれば"暴力"であるが、力を善用すれば"義力"である。力の行使はすべて悪ではない。
「義力とは、正しい行いを守る力」であり、"義"は儒学では"利"に対立する概念である。またキリスト教のディカイオシュネー(義)は"罪"に対立する概念である。
名将たちは、この義力の運用と整備を教えたのだ。



