脱中心化シリーズの三回目として、経済システムを扱う。前近代における労働集約的経済から近代の資本集約的経済への移行過程で経済システムの中心化が進み、ポスト近代の知識集約的経済への移行過程で脱中心化が進みつつある。
1. 近代における産業の資本集約化
近代小氷期をもたらした三つの太陽黒点数極小期、すなわち、シュペーラー極小期(Sporer Minimum 1450-1550)、マウンダー極小期(Maunder Minimum 1645-1715)、ドルトン極小期(Dalton Minimum 1790-1820)は、それぞれ、イギリスにおける第一次囲い込み、第二次囲い込み(農業革命)、産業革命と同時代である。私たちは、これら三つの経済的出来事を、経済的生産の集権化として特徴付けることができる。
シュペーラー極小期に、イギリスの気候は寒冷化し、毛織物に対する需要が増え、羊毛を量産する必要が生じた。開放耕地や混在地が個人によって囲い込まれ、羊の放牧地になった。これは、自給自足的な中世的共同体農業から、近代的な個人経営による商品作物の生産に向けての第一歩と位置づけることができるが、第一次囲い込みが行われた範囲は限定的で、イギリスの農業全体の性格を変えるにはいたらなかった。
マウンダー極小期は、小氷期の最盛期に当たる。日照不足のため、食糧不足が生じ、食料を効率的に大量生産する必要が生じてきた。そのために、この時期に、機械的に効率よく播種するシード・ドリルの発明、輪裁式農法や改良穀草式農法の導入、囲い込みによる開放耕地と混在地の排除、耕作単位の拡大、労働集約的な農業経営を特徴とする農業革命が起きた。第一次囲い込みは、トーマス・モアなどから非難された[Thomas More (1516) De Optimo Reipublicae Statu deque Nova Insula Utopia]が、第二次囲い込みは、議会が種々の囲い込み法案を通して、国家ぐるみで推進した。
ドルトン極小期は、温暖化における寒冷化の反動をもたらした。農業革命により、イギリスは、人口を増やし、また海外に植民地を持ったことで、より大きな市場を持つようになった。だから、寒冷化による衣類需要の増大に対して、手工業(マニュファクチュア)では対応できなくなり、かくして、機械制大工業による綿織物の大量生産が行われるようになった。これがいわゆる産業革命である。産業革命(the Industrial Rrevolution 工業革命)は、第二次囲い込みによって既に始まっていた農業革命の原理を、工業に応用したものであると評することができる。
農業革命も工業革命も、産業の資本集約化として特徴付けることができる。中世のイギリスでは、農民は、自分の土地を持ち、共同体を形成しつつも、自給自足的な生活を送っていた。しかし、農業革命と工業革命により、農民は、労働力以外には何も資本を持たないプロレタリアート(無産市民)になり、資本家の下に集められ、機械化された工場ないし農場で、資本集約的に生産性が高い労働を行った。
近代小氷期という危機が去った後も、産業の資本集約化と労働者のプロレタリアート化はその後も続いた。資本集約化により、生産力が大幅に向上したが、同時に人口も爆発的に増えたために、それは個々の労働者の待遇改善にはつながらなかった。労働者問題は、19世紀後半になって解決が図られるようになった。
労働者が資本のもとへと組み込まれたのと同時に、資本は国民国家のもとへと組み込まれた。貴族は荘園の徴税権を失い、国家が直接国民経済を支配するようになった。絶対王政の時代の経済政策は、重商主義で、初期の重金主義であれ、後期の貿易差額主義であれ、各国家は、ゼロサムゲームの発想で、富の国外の流出を防ぎ、できるだけ自国内に富を蓄積しようと経済を統制していた。しかし、産業革命が起きると、「諸国民の富」全体を増大させることが可能となり、それを促すために、自由放任主義(laissez-faire)を唱える経済学者が現れるようになった。
2. 社会主義と福祉国家
近代から現代にかけて、経済システムは、従属的労働から自立的労働へと、国家統制型経済からグローバルな自由市場経済へと脱中心化されていく。しかし政治システムにおける民主化のプロセスと同様に、この流れは決してスムーズであったわけではなく、何度か反動的な局面を迎えた。
1844年に、イギリスは、銀行設立免許法(Bank Charter Act)を制定し、金本位制を正式に導入した。その後多くの近代国家が、19世紀に金本位制を採用した。金本位制によるマネーサプライの制限は、その後長期にわたってデフレをもたらすことになる。デフレによる物価の下落を防ぐために、企業はカルテルやトラストを形成し、市場を独占ないし寡占しようとした。労働者も、とりわけ1870年代以降、賃金の下落を防ぐために、労働組合を結成し、労働市場を独占ないし寡占しようとした[金本位制は平和に貢献したか]。
これは、19世紀前半に盛んになったレッセ・フェールからの後退である。ヨーロッパ諸国は、19世紀後半になると、保護主義と干渉主義を再開した。フランスでは、1890年に他のヨーロッパ諸国との自由貿易協定が破棄され、プロシアでは、ビスマルクが1878年から保護主義の方針を打ち出し、1879年には鉄とライ麦の関税を設けた。
労働条件の改善のためにも、保護主義的政策が取られた。ビスマルクは、1880年代に、プロシアで様々な社会保障制度を設立した。1914年には、アメリカのヘンリー・フォードが、自動車製造の工程を大量生産により合理化しつつ、労働者の賃金を倍に引き上げ、それによって自動車の需要を増やすフォーディズムを始めた。1917年には、ロシア革命が起き、世界初の共産主義国家であるソビエト連邦が1922年に発足した。1929年の暗黒の木曜日の後に生まれた世界大恐慌は、フォーディズムによる景気を終わらせ、代わって、フランクリン・ルーズベルトが、ニューディールと呼ばれるところの政府主導のフォーディズムを始めた。ヒトラーもフォーディズムを採用し、600万人近かった失業者数を30万人に減らした[フォーディズムとナチズム]。しかし、世界大恐慌によるデフレを最終的に克服したのは、第二次世界大戦を通じての軍事的ケインズ主義(military Keynesianism)であった。
経済学的観点からすると、第二次世界大戦のときから冷戦の時代にかけて存在した、ファシズム国家、社会主義国家、福祉国家の間に大きな違いは認められない。こうした国々の全体主義的経済政策は、富の再配分をもたらしはしたが、その構造において中央集権的であり、経済システムの脱中心化という観点からすれば、反動的な動きであった。
3. グローバルな個人主義
1970年代のスタグフレーションにより、経済システムの目標は、量的拡大から質的向上に変わった。情報革命の本質は、ここにある。情報革命は、レスター・サローが謂う所の「知識依拠型経済 knowledge-based economy」をもたらした[知識依拠型経済のグローバル化]。米国の国勢調査局(U.S. Census Bureau)によると、学歴の違いによる経済格差は、70年代から拡大しつつある。
Workers with an advanced degree, who earned 1.8 times the earnings of high school graduates in 1975, averaged 2.6 times the earnings of workers with a high school diploma in 1999.
大学院を修了した労働者と高卒の労働者の収入格差は、1975年において1.8倍だったが、1999年には、2.6倍になった。
機械化と自動化により、人間の肉体労働の価値は下がったが、情報革命は、知的労働の価値を高めた。労働者は、前近代的な労働集約的経済において重要であったが、近代の資本集約的経済において重要でなくなり、ポスト近代の知識集約的経済において、再び重要となった。だから、経済システムは、前近代から近代にいたる変遷において中心化し、近代からポスト近代にいたる変遷において脱中心化した。
1970年代以降、大きな政府はその有効性を失った。小さな政府を目指した第一世界の国は繁栄し、共産主義経済を続けた第二世界の国は破綻した。政府がコントロールする国民経済は時代遅れとなり、かつて国内でのみ活動していた企業は、政府のコントロールから離れ、グローバルにビジネスを展開するようになった。それまでの国際経済とは異なる、グローバルでボーダレスな経済が地球を覆うようになる。
小さな政府の誕生は、資本集約的経済から知識集約的経済への構造的変化を反映している。政府が主導する大規模な計画経済は、規模の経済が働く資本集約的経済において有効であるが、知識集約的経済では失敗する。なぜなら、官僚は、知識集約的経済で要求されるようなイノベイティブなアイデアを持たないからである。
イノベイティブなアイデアは、競合する個人から生まれる。そうした競合を促すためには、報酬は、労働時間に対して支払うよりも、労働の成果に対して支払う方が望ましいし、投資家も経営に参加するほうが望ましい。実際、情報社会においてはそのような傾向が見られる。
世界で最初の近代的な株式会社は、1602年にアムステルダムで上場したオランダ東インド会社だといわれている。初期の株式会社は、多額の資金調達とリスク分散が目的であって、民主主義的なコーポレート・ガバナンスが目的ではなかった。しかし、近年「ものをいう株主」が現れ、株主行動主義(shareholder activism)がコーポレート・ガバナンスのあり方を変えている。株主と経営者の関係は、有権者と代議士の関係と同じであり、株主行動主義は、一種の直接民主主義である。それは、ウェブ2.0の時代にふさわしいコーポレートガバナンス2.0であると言うことができる。
経済システムの脱中心化と平行して、エネルギーシステムの脱中心かも始まろうとしている。電力自由化により、小型分散型電源が電力網に参加し、これまでたんなる電力の消費者に過ぎなかった電力網の端末が、電力の生産者として、電気をアップロードすることが可能になるだろう。どの小型分散型電源が望ましいかは、政府が決めることではない。電気の消費者であると同時に生産者でもある各端末の選択を通じて、市場原理により決められることである。
| 書名 | 知識・情報集約型経済への移行と日本経済 |
|---|---|
| 媒体 | 単行本(ソフトカバー) |
| 著者 | 経済企画庁経済研究所 |
| 出版社と出版時期 | 大蔵省印刷局, 1999/04/27 |
| 書名 | 知識資本主義 |
|---|---|
| 媒体 | 単行本 |
| 著者 | レスター・C・サロー 他 |
| 出版社と出版時期 | ダイヤモンド社, 2004/09/10 |
| 書名 | 知識社会の経済学―ポスト資本主義社会の構造改革 |
|---|---|
| 媒体 | 単行本(ソフトカバー) |
| 著者 | 大内 秀明 |
| 出版社と出版時期 | 日本評論社, 1999/12 |




