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農業の開始と父権社会の成立

旧石器時代と新石器時代を画期する、採取経済から農耕経済へ、狩猟経済から牧畜経済への移行は、いかにして行われたのか。旧石器時代では男女が平等だったのが、なぜ新石器時代では男尊女卑になったのかを考えよう。

旧石器時代から新石器時代へ

最終氷期(ヴュルム-ウイスコンシン氷期)の最盛期は、2.2-1.8万年前で、当時、北米大陸とヨーロッパを覆う氷床は厚さ3000m以上で、海面高度は現在よりも130m低かった。その後7000年ほどで、地質学的スケールでは一瞬にして、地球は、現在にまで続く、温暖な間氷期に移行した。

温暖化は、しかしながら、スムーズに進んだわけではない。何度か寒冷化の揺れ戻しがあった。また温暖化や寒冷化は、一様に進むわけではなく、以下の図に示すように、寒冷化は北大西洋から先に始まり、温暖化はモンスーンアジアから先に始まる。

最終氷期からの温暖化
ユーラシア大陸東西の晩氷期の気候変動
[安田 喜憲:気候変動の文明史, p.43;Yasuda, Y., Negendank, J. F. W. (2003): Environmental variability in East and West Eurasia, Quaternary International, 105, 1, 1-6. ]

北大西洋の年代で書くと、最終氷期から現在の間氷期にかけて、次のような寒暖の繰り返しがあった。

18000年前 オールデスト・ドリアス寒冷期が始まる。
14500年前 ベーリング温暖期が始まる。
14000年前 オルダー・ドリアス寒冷期が始まる。
13500年前 アレレード温暖期が始まる。
12500年前 ヤンガー・ドリアス寒冷期が始まる。
11500年前 プレボレアル温暖期が始まる。
9000年前 前期ボレアル温暖湿潤期が始まる。
8800年前 後期ボレアル温暖乾燥期が始まる。
8200年前 ボレアル小氷期が始まる。
7800年前 アトランティック温暖期が始まる。

この中で、最も激しい寒冷化の反動は、ヤンガー・ドリアス寒冷期で、人類が狩猟採取経済から牧畜栽培経済へと移行したのは、この時期であるというのが通説である。例えば、12500-10200年前に存在した地中海東部のナトゥフ文化は、この時期における寒冷化と乾燥化という環境の悪化の中で生まれた農耕文化とみなされている[Bar-Yosef, O. and A. Belfer-Cohen (2002), Facing environmental crisis. Societal and cultural changes at the transition from the Younger Dryas to the Holocene in the Levant, The Dawn of Farming in the Near East, pp. 55-66]。

ナトゥフ文化は、農作業用の洗練された石器を特徴としており、文字通り、新石器時代の文化であるが、旧石器時代と新石器時代を区別する重要なメルクマールは、石器の精緻さではなくて、食糧を能動的に生産しているかどうか、つまり農業を行っているかどうかである。

牧畜は農耕の後に始まった

ナトゥフ文化より少し遅れて、アブ・フレイラの集落が、紀元前1万年ごろから、旱魃を克服するべく、ライ麦、ヒトツブコムギ、ヒラマメ穀物は栽培していたが、動物を育てることはせずに、ガゼルの狩猟を続けていた。ヤンガードリアス寒冷期が終わって、温暖化が始まった紀元前9000年ごろ、村は突然、ヤギとヒツジを飼うようになった。ブライアン・フェイガンは「たぶん狩猟のやりすぎの結果だったのだろう」[Brian M. Fagan:The Long Summer: How Climate Changed Civilization, p.96]と言っているが、そうだろうか。

中国の長江流域でも、ほぼ同じ頃、農業が始まった。中国の江西省仙人洞遺跡と吊桶環遺跡で栽培された稲のプラント・オパールが見つかった。年代は、諸説あるが、だいたい12000年前ごろで[江西人文:世界稻作文化起源地-萬年江西萬年:讓史前文化遺址保持原貌]、東アジアでも、ヤンガー・ドリアスの寒冷期に農業が始まったと見ることができる(注)。中国でも、動物の家畜化は、植物の栽培よりも後だった。犬、豚、鶏が家畜として飼育されるようになるのは、温暖化が進んだ9000-7500年前である[袁靖:中国古代農耕社会における家畜の問題について]。

(注)但し、長江流域で、農耕の確実な証拠がでてくるのは、ボレアル小氷期の8000年前ごろである [鶴間 和幸 他:NHKスペシャル 四大文明 中国, p.132] 。このころ、沼沢地の辺縁で本格的な稲の栽培が始まった。

結論:農業の開始と男尊女卑社会の成立

農業成立のプロセスをまとめると、次のようになるだろう。氷期が終わって、温暖化が進むと、二酸化濃度が高くなり、降水量も増え、大気循環の活発化によりより多くのエントロピーを捨てることができるようになり、植物は繁茂した。その結果、植物や、植物を食べる動物の数が増え、それらを食料としている人間の数も増えた。しかし、ヤンガー・ドリアス事件により、気候が急激に寒冷化・乾燥化すると、増えすぎた人口を維持することができなくなった。そうした危機的な状況の中で、人々は、種を植えて作物を育てるという手間のかかる作業に従事するようになった。

ヤンガー・ドリアス寒冷期が終わり、環境が好転すると、穀物の栽培をやっていた社会は、過剰な生産力を持つことになる。採取経済に逆戻りした社会もあっただろうが、過剰な作物を動物の餌にし、家畜を始める社会もあった。こう考えれば、寒冷期に穀物の栽培が始まり、温暖期に家畜の飼育が始まったことを説明できる。

家畜は、最初、食料のために飼われた(但し、中国では、祭祀に捧げる生贄としても飼われた)。しかし、後には、農耕用にも使われるようになった。それ以前では、採取・狩猟社会でも、農耕・牧畜社会でも、女性は植物、男性は動物を担当するという性分業があり、食糧生産という点では、男女は平等であった。農耕に、男性が支配する家畜が使われるようになると、穀物栽培までが男性の領域になってしまった。男尊女卑の時代は、そこから始まる(注)。

(注)家畜が農耕用に使われたのは、BC4000年頃で、四大文明が成立する直前である。これは"二次産物革命 secondary products revolution"と呼ばれている[Andrew Sherratt (1983) The Secondary Exploitation of Animals in the Old World, World Archaeology, Vol. 15, No. 1, Transhumance and Pastoralism, pp. 90-104]。男尊女卑社会の成立事情に関しては、[マーガレット エーレンバーグ:先史時代の女性―ジェンダー考古学事始め, p.154-156]を参照されたい。

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