世界の中の日本 ― これからの長期戦略 ―
地政学研究者 江田島孔明
これからの日本の未来を海洋国家戦略の観点から考える前提として、戦後日本の国家戦略としての「吉田ドクトリン」のもたらした意味を考えてみる。
戦後日本の総路線は、1951.9.8日のサンフランシスコ講和条約、その5時間後の日米安全保障条約の締結により決着した。これを遂行したのが吉田茂首相であったが、この時吉田首相は、米国陣営側に与することを決定している。同時に講和後も米国軍を恒久的に残置させ、米国との軍事同盟締結を決断している。
このような形で日本は形式的には主権を回復し、実質的には外交や安全保障をアメリカに依存した。これは、表面上は吉田首相の決断とされてるが、実際は昭和天皇の意思だ。その意味で、「陛下ドクトリン」と呼ぶべきであり、この点はいずれ改めて書くが、今回は吉田ドクトリンという一般的呼称にしたがうこととする。
この時の吉田首相の判断がどう評価されるべきだろうか。吉田首相の「自由主義陣営(シーパワー)への確固とした信頼、共産主義陣営(ランドパワー)に対する不信」は、今日では英明な判断であったことが判明している。
曰く、「共産政権誕生以来、ソ連は5千万人、中共は2百万の国民を殺したといわれる。人民を多数殺戮するような国に、何の進歩、何の発達、何の自由があり得るのか」の批判は、外交官時代の経験に拠ったものと思われるが、この当時における見識として優れていたものであった。
(注) 2百万人: これは、吉田首相当時に言われていたもので、文化大革命・大躍進時代以降のものは、一切含まれていません。中共は現在にいたっても戸籍が曖昧で、人口統計すら不明です。政府が人民を何人殺したかの具体的統計は無いと思います。あくまで概算で、種々の数字が発表されています。
△ 中共の自国民殺害数: 合計1億3000万人
文化大革命関連: 2000万人(トウ小平談話)
失政飢餓(大躍進 粗鋼製鉄運動): 4000万人(書物)
革命後の国民党関係者と家族の処刑: 6000万人(推定)
常時強制収容所での処刑: 1000万人(推定)
も、その例です。(注完)
吉田首相には次のような認識があった。「占領6年有余にして、日本は一日も早く独立を獲得せねばならぬ、とする私の考えはいよいよ強くなった。全面講和は理想としてはいいかも知れぬが、当時の国際情勢、殊に米ソの冷戦のもとにおいては、それは一場の夢に過ぎない。平和条約で独立は一応回復した。しかしこれは主権回復という意味での政治的独立であって、経済的独立には未だ前途尚遠しである。しかも、経済的独立に専念するためには、国の内外における安全が保障されねばならぬ。しかし、当時の我が国の経済状態は再軍備の負担に耐えるべくもない。況や、我が国の新憲法は厳として再軍備を禁じているにおいてをやである」。
要するに、コストがかかる外交や安全保障をアメリカに任せ、対米輸出を基軸にした産業立国を目指すということだ。この戦略は、米ソ冷戦下では、有効に機能し日本は経済大国となった。
問題は、イラク戦争を契機としてアメリカの国力が相対的に低下しつつあり、「外交安保の対米依存」が客観的に不可能になりつつある点だ。吉田ドクトリンそのものの前提が崩れているのだ。
吉田ドクトリンは軽武装で、経済中心だが、この路線を維持するのに憲法9条が役立ったといえる。これを、日本の産業構造の観点からみると、戦前の軍事産業中心から、民需産業中心への大転換だ。
言い方を変えると、戦後の改革で陸海軍や財閥をはじめとする軍事産業が解体され、「軍事技術の民生利用」が図られたということだ。新幹線の開発に海軍の技術者が参加した例はその典型だろう。
<参考>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog359.html
Japan On the Globe(359) 国際派日本人養成講座
人物探訪:島秀雄 ~ 新幹線の生みの親
島は戦前から、いずれ高速で走る電車列車の時代が来ると読んでいた。昭和20年12月、敗戦からわずか4ヶ月目、海軍航空技術廠の技師だった松平精を鉄道技術研究所に迎えて、こう依頼している。
『松平さん。私は、将来、日本に電車形式の高速長距離列車を走らせたいと思います。しかし、いまの電車は振動もひどいし、音もうるさい。とても長時間、お客様に乗っていただく車両とは言い難い。ぜひ、あなたの航空技術の知識、研究を生かして、この振動問題を解決していただきたい。』[2、p89]
松平精は、零戦をはじめ海軍航空機の振動問題を解析するスペシャリストで、35歳の若さですでにこの分野の権威であった。 松平は、敗戦の焦土の中でも、将来の日本の鉄道について斬新で具体的なビジョンを語る人物がいることに感銘を受けた。
終戦直後、松平のような軍の技術者が大挙して鉄道に移り、鉄道研究所だけでも職員が500人から1500人に増えた。これらの、かつて戦闘機を開発した技術者たちが、戦後復興の執念をもって鉄道技術開発に取り組んだのである。
「優れた高速車両を作り出すためには、まず車両の振動理論を完成させることが先決」という島の方針に従って、理論好きの飛行機屋たちと、経験豊かな鉄道屋たちが白熱の議論を展開しながら、車両の振動理論を完成させていった。当時、欧米でも、高速電車列車という発想はなく、振動理論も手つかずであった。この振動理論の完成によって、日本の車両技術は欧米に大きく水をあけた。戦後の新幹線には、戦前の零戦などの技術伝統が継承されていたのである。
この流れは、プレーステーションが軍事シミュレーションに転用されかねないとして規制対象になったほどだし、ホンダのアシモは最先端の軍事歩兵に転用できる。
日本の防衛費そのものは5兆円前後で、GDPの1%程度だが、防衛産業自体の裾野は限られているが、上記のような歴史的背景により日本の企業には、防衛産業に転換できる技術やラインが多数ある。
官需主導の軍事大国が旧ソ連のようないびつな産業構造をとり、結局はつぶれたことを見ても、日本の産業構造はバランスが取れ、かつ膨大な裾野分野を生んだ点で、ある意味、理想的だろう。
逆に言えば、プレーステーションやアシモを国家予算の投入なしに、民間が商用を前提として開発することは、国際的には異常なことであり信じがたい現象だ。プレーステーションは軍事シミュレータ並みの能力があるが、その目的で開発されたわけではなく、子供のおもちゃなのだ。
<参考>
世界各国の軍事力あるいは軍事傾斜度を示すため、軍事力人数(Total armed forces)と軍事支出対GDP比
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5220.html
米国の軍事支出対GDP比は3.4%と大きい。経済規模(GDP)自体の大きさを考えると米国が世界最大の軍事大国である点はいうまでもない。
軍事支出対GDP比が5%以上の高い国としては、エチオピア、エリトリアといったアフリカの国、及びシリア、サウジアラビア、イスラエル、ヨルダンといった中近東の諸国であり、紛争を抱えている地域の状況をうかがうことができる。
日本は24万人で、グラフの諸国の第21位となっている。軍事支出対GDP比は1.0%と世界の中でも最も低いレベルである。
言い方を変えると、戦後の日本は憲法9条のもと、防衛産業は抑制的にして、民需中心にしてきたのだが、結果として「民需の中に膨大な軍事技術転用可能な技術が蓄積」されたということだ。
これは、何を意味するのだろうか。これは、国家が関与しない分野で、膨大な軍事産業が樹立されたという、史上、おそらく初めてのケースだろう。言い方を変えると、官民一体となって、真に防衛産業を育成し、軍事大国を目指すという国家意思を決定をすれば、分野によってはアメリカを上回る軍事技術大国になるということだ。
よく言われていることだが、日本はF15を三菱がライセンス生産しているが、アメリカ製よりはるかに性能がよいという。F2攻撃機のレーダー性能はこれもアメリカ製を大きく上回るという。通常動力の潜水艦も純日本製だが、これも、アメリカ製の性能を上回る。また、横須賀ドックの整備能力は世界一だ。
問題は、自動車や家電で、日本の製品がアメリカ製を駆逐したのと同じ事が軍事分野で起きた場合、日米関係は決定的に悪化するため、日本は軍事大国を目指せないということだ。FSX計画をアメリカが潰した意味もそこにある。アメリカは日本を恐れている。
ここまでの状況を要約すると、戦後日本は冷戦構造を利用して、外交、安保をアメリカに依存し、経済中心の産業立国を目指し成功した。軍事面では憲法9条の制定が、結果として軍事技術の民生分野への展開から、民需主導の産業立国となり、知らないうちに防衛産業の裾野は大きく民需の分野に広まった。GDP費1%程度でもアメリカにつぐ軍事力を有しており、防衛費を国際標準のGDP比3%にし、官民が力を合わせて軍事大国を目指せば大幅な軍拡は可能だが、それは、製造業において主要産業がほとんど破綻し、軍事産業しか残っていないアメリカの戦略と衝突することになる。
つまり、保守派が言うような、憲法9条を改正すれば、軍事的にフリーハンドが得られるというような単純な話ではないのだ。
この状況は、歴史を例に取れば、ロンドン海軍軍縮条締結時に似ている。1930年(昭和5)のロンドン会議において締結された条約で、ワシントン条約の改訂と補助艦保有比率の決定の二部から成る。
【条約の内容】まず、アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・日本の五国間で、ワシントン条約の改訂について次の諸点が決められた。(1)主力艦代換の期間を1931年から1936年まで延期する。(2)主力艦数をアメリカ・イギリス15隻、日本9隻とする。(3)1万t 以下の航空母艦も制限t 数内に含ませる。
次に、補助艦保有制限については、フランス・イタリアが参加を拒んだため、アメリカ・イギリス・日本の間で、比率10:10:7が決められた。日本としては、(1)補助艦総t 数対アメリカ7割、(2)8インチ砲巡洋艦対アメリカ7割、(3)潜水艦絶対保有量7万8、000t の三大原則を主張したが、(1)しか認められず、この条約を1935年までの暫定的なものとしてようやく承諾したのである。
【日本国内の反応】ロンドン会議に出席した日本全権は若槻礼次郎・財部彪・松平恒雄であり、彼らは要求にほぼ近い成果を得た。ところがこの条約に対して軍部と右翼は強い不満をもち、政府と枢密院との論議も3カ月もかかってようやく枢密院で批准された。これを機に軍部と右翼が結合して、条約推進派の政治家・軍人への攻撃を強め、浜口首相暗殺未遂事件を起こし極端な国家主義的運動が台頭する一因となった。
重要な点として、この条約の結果、戦艦をはじめとする主力艦は制限が加えられたが、空母や潜水艦は事実上制限が無くなり、日本は建造途中の戦艦を空母に流用するなどして世界最初の機動部隊を建造した点だ。規制のバイパスが思わぬ効果を生んだのだ。
要するに、戦後の吉田ドクトリンと憲法9条をロンドン軍縮条約と見なせば、同じように、軍事技術の民生分野への展開から、民需主導の産業立国となり、知らないうちに防衛産業の裾野は大きく民需の分野に広まったことと同じだ。穿った見方をすれば、憲法をバイパスし、アメリカの監視をかわすために、民生の仮面をかぶって軍事技術を開発したともいえる。日本は、憲法9条と吉田ドクトリンの下、表向きは経済大国を続けつつ、密かに、そして、確実に、民間部門に軍事技術の裾野が広がってきたことを述べた。今回は吉田ドクトリンの負の面を述べたい。
吉田ドクトリンの負の面とは何か。それは、「吉田ドクトリン以外の国家戦略について思考停止に陥っている」ということにつきる。吉田ドクトリン、すなわち外交や安保の対米依存とによる軽武装化と貿易立国が成立するには、アメリカの力が軍事や経済の分野で圧倒的であることが必要だが、実際は、アメリカの国力は、衰退の一途を遂げている。この状況は、かっての日英同盟が破棄された後の日本外交の漂流と、三国同盟から対米開戦の過程を思い起こさせる。
<参考>
△ 日英同盟
1902年(明治35年)1月30日、日本とイギリスとの間に結ばれた攻守同盟条約。日清戦争後、諸列強の世界政策は敗れた中国に集中した。そのなかで、フランスの支持を得たロシアの満州に対する野心は露骨となり、義和団の乱を利用し北京から撤兵した軍隊をもって満州の占領に乗り出した。これに対し、イギリスはドイツと協商してロシアを抑えようとし、1900年(明治33年)10月、いわゆる揚子江協定を成立させ、後に日本もこれに参加した。
このころ、第二次露清密約の存在が暴露され、日本・イギリス・ドイツ・アメリカは、清国にかかる条約に調印しないよう勧告した。さらに日・英両国はロシアに抗議した。これより先、ドイツは揚子江協定は満州に適用されない旨を明らかにして、日・英の対露抗議に同調しなかった。
また当時イギリスはボーア戦争のため余裕がなく、日本は独力で対露抗議を行うことになり、1901年(明治34)6月第二次抗議を行った。これに対しロシアは露清密約中止の通牒を送ってきた。
英外相ランスダウンは、日本の実力を評価しその極東政策のなかに日本との同盟の必要性を認めるが、イギリスが伝統とする〈光栄ある孤立〉に訣別して日英同盟に踏み切った動機は、1901年9月セルボーン海相が、海軍政策の面から日英同盟の必要を強調した〈極東における海軍政策〉であった。
この間、在英ドイツ大使エッカードスタインは、英独同盟を促進する見地から日本の同盟参加を日・英両国に働きかけた。かくて1901年10月林公使と英外相との間に本格的交渉が行われ、同年11月6日ランスダウンは条約草案を林公使に手交した。
日本国内には、日英同盟に対抗する有力な主張として日露協商論があった。その主論者伊藤博文は、ペテルブルグを訪れてその所信の実現をはかったが満足な反応を得られなかった。しかしそれでも彼は初志を貫こうとしたが、これに対し日英同盟をとるべきであるとする小村外相の外交判断は、桂首相はじめ閣僚および山県有朋・加藤高明らによって支持され、1902年(明治35)1月30日同盟の締結を見るに至った。
条約の内容は全6条と付属交換公文1篇から成る。条約の骨子は、イギリスにとっては主として清国における、日本にとっては韓国と清国における利益を擁護するため相互援助を約し(第1条)、さらに締約国の一方が、二国以上と戦うときは、ほかの締約国は参戦義務を負う(第2条)と定めた。
したがって万一日本が戦争するに至った場合、第三国が日本の相手国を援助し、あるいは加担する行為を「大英帝国」が厳に監視することになる。そのイギリスは依然として世界第一の富力と海軍力を保有する大国であり、しかも付属協定によってその優勢な海軍力を随時極東に集結する態勢をとるというのであるから、そのにらみは全世界に利くのである。
これによって日本は、ある一国だけを相手取って戦い得る態勢ができたのである。それはまさに日本海軍にとっては百万の味方を得たに等しい。果たせるかなそれから二年後に起きた日露戦争に事実となって表れるのである。条約の効果は海軍ばかりではない。日本国民に大きな自信を与え、同時に日本の国威を世界に向かって誇示する結果にもなった。
日英同盟の発表に対し、ロシアは衝撃を受け不満と不安を感じた。そしてドイツ・フランスを誘ってこれに反対する共同宣言を行おうと試みたが、ドイツはこれを拒絶したので、フランスとだけ3月16日共同して宣言した。
1905年(明治38)8月、日露戦争後の情勢を受けて改訂された。その要点は、イギリスが日本に朝鮮を保障するとともに、同盟の及ぶ範囲をインドを含む東南アジア一帯に拡げたことである。これは主にロシアの報復に備えたものであったが、日露戦争後の極東の情勢は、米・英の中国市場への進出に対抗して、日・露が接近する傾向にあった。
1911年(明治44)7月、日英同盟は再び改訂され、締約国と仲裁裁判条約を結んでいる第三国に対しては参戦義務を免除した。1914年(大正3)、第一次世界大戦に際し、日本はこの同盟の参戦義務遵守を名目として参戦した。大戦後のワシントン会議において、1921年(大正10)12月13日、日本、イギリス・アメリカ・フランスの間に成立した「四カ国条約」の発効に伴い、日英同盟は翌年8月に廃棄された。
このように、日英同盟は、大陸のランドパワーロシアの南下を防ぐシーパワー同盟として機能し、日本を仮想敵視し、アメリカの太平洋や中国への進出の野心によって破棄された。
この時期、日本の指導者とは、維新の元勲たる伊藤博文をはじめとする元老が実質的には仕切っており、政府超える部分で戦略的意思決定を行っていた。すなわち、国家のオーナーが存在したのだ。しかし、明治から大正に変わっていくなかで、オーナーは次々と死に、官僚が実権を握るようになる。
官僚はそもそも、自分の帰属先たる「縦割り」省庁の利害で動き、国家的意思決定が不可能なのだ。これが、極端になってあらわれたのが昭和期の陸海軍であり、統一的戦略がなく、陸海軍それぞれが個別に対シナ、対米戦を企画し、バラバラにそれぞれ戦争をするという愚を犯す。
全ては、「国家的戦略」をもっていなかったためだし、それを担保する制度上の指導者も、昭和天皇を除いてはいなかった。昭和天皇は一貫してシナ大陸での戦火拡大に反対であったし、皇太子時代に英国王ジョージ5世と謁見し、英米との強調を模索されたシーパワー派だったのだが、この点は特質すべきだ。しかし、立憲君主の立場を強く意識され、決して自らの意思で国政を指導されようとしなかった。
要するに、国家戦略を失い、官僚国家となった瞬間に、日本の破滅は決定づけられていたということだ。私が文筆活動を始めた最も大きな理由は、かっての誤りを日本と日本人に起こさせるわけにはいかず、かといって政治家や官僚になっても、それぞれの所属組織の利害に左右され、保身に追われるだけで、決して長期的国家戦略の立案と実行ができないという結論に達したからだ。
真の戦略家とは、自身の栄達を求めず、純粋に作戦指導に生きがいを見出すようでなければならない。要するに、芸術家とおなじだ。かっての三国時代、諸葛孔明は野にあって「天下三分の計」を立案し、後に実行した。劉備の死にあたった、もし息子が愚昧なら君が国王になれとの依頼を固辞し、宰相の立場にとどまったという。戦略家の鑑であろう。
以上
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今後の日本の長期国家戦略を提言したい。
日本の技術水準は世界最高であり、人間の質も教育水準や識字率等、世界最高峰だろ。問題は、ラインがいくら優秀でも、長期的視点に立った戦略がなく、真の意味でのスタッフがいないことだ。この点。旧陸軍が英米からの評価として、兵や下士官は優秀だが、階級が上がるにつれ、凡庸となるといった点と、全く変わらない。
このような観点から、シーパワーの伝統的戦略である、勢力均衡とは何かを見てみる。
△シーパワーの勢力均衡(バランス・オブ・パワー)戦略
シーパワーは大陸が巨大なランドパワーに支配されることを徹底的に阻止しようとする。一旦、大陸が支配されると、交易の利得を上げられないし、次に狙われるのは自分だからだ。逆に、シーパワーは大陸のランドパワーを殲滅しようとは思わない。商売ができなくなるからだ。
要するに、シーパワーにとって、大陸のランドパワーが割れて、相互に牽制しあう状況で両方に武器を売ったり対立を唆したりすることで利益を得るのだ。中国古典の「漁夫の利」を地で行くこの戦略は、前号の「シーパワーにとって戦争はビジネス」を思い出してもらえばわかるだろう。
△大英帝国
英国は大陸欧州でランドパワーが巨大化した際、それをかならず、つぶす方向で努力した。ナポレオンやヒトラーが例だ。特に、第二次大戦において、イデオロギー的に相容れないソ連と組んだことは、英国の政策の本質がイデオロギーではなく、勢力均衡にあることを証明する。これは、アメリカも同じである。
△第二次大戦
問題は、第二次大戦の前、英国単独で欧州の勢力均衡が保てなくなったことだ。これは、ミュンヘン会議でドイツの要求に屈したことでもわかる。以後英国は米国の力を借りてようやく、欧州のパワーバランスを図ることができたのだ。つまり、米国なしでは大陸欧州に対抗できないのだ。これが、英国が米国の軍事戦略につきあう理由だ。同じアングロサクソンだとか同じ利権があるという次元の話ではない。このように、シーパワーの観点から、欧州を分裂させ、勢力均衡を図ることに英米は共通利益があるのだ。
第二次大戦において、英米ともに親独反ソを唱える知識人は大勢いた。ケネディの父(駐英大使)はその代表だろう。にもかかわらず、英米が最終的にソ連を援助したのは、ソ連が負けそうだったからにすぎない。勢力均衡の戦略では、強大なドイツに全欧州やソ連を支配させることは許されなかったのだ。
これは、現在のEUを巡る状況にも通じる。
△米ソ冷戦
シーパワーがとった、史上最大の勢力均衡は米ソ冷戦だろう。私は、米ソ冷戦は本質的に、上述の「シーパワーにとって、大陸のランドパワーが割れて、相互に牽制しあう状況でお互いに武器を売ったり対立を唆したりすることで利益を得る」という視点で見ることが重要と考える。
アメリカが本気でソ連を打倒としようと思えば第二次大戦直後、核兵器をアメリカが独占していた時点で可能だったのだ。実際、パットン将軍やチャーチルはそれを主張したが容れられなかった。朝鮮戦争時、マッカーサの沿海州核攻撃計画が許容されなかったのも同じ理由だろう。
△日米中関係
ソ連の弱体化で冷戦が終了すると、今度は強大な経済力をもつ日本と軍事力拡大を図る中国との間でパワーバランスを図る戦略をとった。これが90年代クリントン政権下の親中反日政策だ。
繰り返すが、「シーパワーにとって、大陸のランドパワーが割れて、相互に牽制しあう状況でお互いに武器を売ったり対立を唆したりすることで利益を得る」のだ。これは日中間を離反させ、相互牽制させる政策にもつながる。日本はアメリカの同盟国だが、アメリカは強すぎる日本を望んでいないし、日本に対して潜在的脅威、不信を感じている。そのため、中国をカードに使って日本を抑えようとするのだ。
何の事は無い。シーパワーの伝統的勢力均衡戦略で説明できる。余談だが、冷戦中(そしておそらく現在も)アメリカは対日戦を想定していた。それは、もし欧州か東アジアで米ソが衝突し、第三次大戦が生起した際、日本が局外中立を宣言し、自衛隊を米軍基地封鎖に使った場合だ。この場合、アメリカはどのような対日戦のシナリオを書いていたか、いずれ明らかになるだろう。核使用オプションもあったと思われる。
はっきり言えば、日本が独自路線を取り、軍拡を行い、反米傾向を強めたら、米+中+露+朝+韓VS日本という構図になるのだ。これはまさしく、先の大戦で先例がある。悪夢の多正面作戦は避けるしかない。更に、日本が中露と連携しようとすれば、これもアメリカにつぶされる。田中角栄・真紀子(親中)や鈴木宗男(親露)がどうなったかを思い起こす必要がある。全ての根幹はこの勢力均衡戦略なのだ。
△地域安保協力について
冷戦後の世界において、上記のような戦力均衡を廃して、地域全体での安保協力の枠組みを構築する必要があるという意見がある。大国・小国を含む全ての国が対等な立場で協力し、平和を達成する努力だ。ここでは、もはや敵・味方の区別なく、軍事力の行使は不当と考えられ、パワーポリティクスは排除されるとする。
この考えは、国連設立時の理想ではあるが、現実には大国間の思惑で機能不全に陥ったことを忘れてはいけない。この種の枠組み構築は、各国間の意見表明や連絡窓口として重要だとは考えるが、国際社会が基本的に無政府の戦国時代である以上、根本は勢力均衡をポリシーとして、国連を含むこの種の枠組みを利用できる限りは利用するというのがベストな戦略と考える。
多国間集団安保の枠組みは、基本的に無責任体制であることを忘れてはいけない。理想に浮かされ、冷徹な国際社会の現実に目を背けてはいけない。日英同盟を廃棄し、代わりに締結した戦前の4カ国条約が全く機能しなかったことを思い出す必要がある。
△現在の国際情勢
現在のアメリカが以上のような伝統的勢力均衡戦略を捨て中東直接支配に移行していることが問題だ。そしてそれは間違いなくアメリカを衰退させる。
賢明な読者諸兄は以上のような英国の立場が本質的に日本と同じだということがおわかりいただけるだろう。ここに、平成の日英同盟(第三次日英同盟)の可能性が有る。これは環太平洋連合の呼び水となる。
△在日米軍撤退
アメリカの財政破綻と中東戦争のインパクトから、在韓米軍撤退は決定したようだ。10年以内に在日米軍撤退(大幅削減)もおきるだろう。
(1)沖縄の海兵隊は中東へ
(2)岩国と三沢の航空機は撤退
(3)グアムにB2数機常駐
(4)下地島の空港をいつでも利用できるようする
になると考える。この陣容から考えられるメッセージは、「東アジアや東南アジアの中国とのパワーバランスは、米軍の後方支援の下、日本でとって、アメリカ軍は中東に集中させる」である。かっての日露戦争前とよく似た状況になってきた。ますます、英国との連携が必要になってくる。私が環太平洋連合樹立を主張するのはそのためだ。
△冷戦の経済的意味
冷戦とは、アメリカがシーパワーの観点からソ連をユーラシアに封じ込めることを狙ったものだ。それと同時に、日英独仏韓をユーラシアから切り離し、シーパワーの島国として経済発展を保証した枠組みであったことを忘れてはいけない。
この均衡が崩れたため、シーパワー諸国が経済発展できた冷戦構造は既になく、群雄割拠の戦国時代に突入したのだ。世界貿易は縮小していくだろう。自由貿易とは英国や米国といったシーパワーが強大で覇権国であった時期の産物なのだ。経済中心の物の見方が許されたのは、あくまで、この自由貿易が達成されていた、一時期にすぎない。アメリカの覇権衰退の後にくるのは経済ではなく、安保中心の時代である。
△英国に見られるシーパワーとしての自己規定
英国はEUに深入りすることは今後も無いと思われる。むしろ統一憲法の扱いではEU脱退も考えられる。EU大統領の野心をもってるブレアの退陣が一つの試金石だろう。
なぜなら、EUに深入りしても場所が場所だけに欧州の物流・交易の中心には絶対なれない。(仏中心で)大陸ヨーロッパが1つになる事によって、欧州内で陸上ルートを使った物流・交易が極めてローリスクで行えるようになった、今回の拡大もその範囲の拡大と捉える事が出来る。域内のブロック化は、大西洋への出口として重要な位置にある海運の国の英にとっては、米国のその地域内での影響力低下も伴うからメリットよりデメリット大きいだろう。
だから英国は今後もEU諸国の統合強化を妨げるように動くであろうし、実際、数世紀前からの英国の大陸欧諸国に対しての基本的な戦略だ。
具体的には独仏分断のため、東欧の発言権を増しフランスに対抗させるといったやりかただ。英国がポーランドの欧州議席数交渉を支援したのはそのためだ。
はっきり言って、英国がEUに入っている理由はEUの情報を入手し、域内を分断するためなのだ。(トロイの木馬)これは独仏の利害と対立する。
そもそもランドパワーがシーパワーに対して優位性をもてるのは域内の統一がなって海上を利用しない物流・交易が容易になった時だ。
シーパワーとしてはランドパワーが分裂状態にある事が望ましいわけで海上を支配し分断されたランドパワーをつなぎ、その間で付加価値をつけマージンを得る事で富をなす。それが出来ないと辺境に甘んじるか引きこもるかするしかない。
△勢力均衡
このように、EUの分断、勢力均衡が必要なのは米国にとっても同じだから共通の利害関係にある以上、英にとっては米>欧で米英同盟は少なくともEU崩壊までは続くだろう。
日本には、欧米という表現で、大陸欧州も英国も米国も一緒くたにする見方がある。欧米を「同じ」キリスト教国や民主主義国、白人種といった見方もそうだ。
しかし、ランドパワーとシーパワーの視点からみると、大陸欧州と英米には「本質的かつ根本的な利害の対立」があることがわかる。つまり、英米は大陸欧州を分断して勢力均衡を図ろうとするし、大陸欧州は分断されてると、英米に利用されるから統合しようとするのだ。これがEU統合、ユーロ導入の意味であり、英米とEUが相容れない本質的理由だ。
ナポレオンの頃から、二度の世界大戦、更に冷戦期を通じて、この勢力均衡が英米の基本戦略であり、それはイデオロギー的に相容れないソ連と組んでドイツを潰したことでも分かる。
地政学的にみた場合、シーパワーたるアメリカは防衛線を島国たるイギリスに置き、独仏は防衛圏外(いざという時は見捨てる)とする、二度の世界大戦から、冷戦期を貫く戦略をとっていたのだ。
アメリカは第二次大戦において、フランスを解放したではないかという向きもあろうが、44年6月という時期は、既に東部戦線で決着が着いていたのであり、ノルマンディー上陸はナチスを打倒するのに必要であったとはいえない。遅すぎたのである。むしろ、米国はフランスを防波堤にして英国を守ったという見方もできる。この対米不信感は戦後のフランス人の深層心理に深く刻まれ、ドゴールのNATO脱退、独自核武装につながる。
裏を返せば、イギリスは二度の世界大戦、さらに冷戦期を通じて、リムランドとしてアメリカの欧州関与(パワーバランスのため)の最前線となることを受け入れ、代償としてアメリカに安全保障を依存したということである。これが、アメリカの軍事戦略にイギリスが全面的に付き合う、付き合わざるを得ない本当の理由である。単なる共通の利権があるとか同じアングロサクソンだからといった次元の低い話では全くないのである。
はっきり言えば、米国は二度の世界大戦以降、冷戦期を通じて欧州を防衛していたのではない。正しくは、大陸欧州を分断して勢力均衡を図っていたのだ。そのための前線基地として英国を利用していたのだ。現在の英米と大陸欧州の角逐の根底にはこの勢力均衡戦略がある。WW2末期、欧州の第二戦線をどこにつくるかについて、チャーチルはソ連を牽制するためにバルカンから東欧に米軍が上陸すべきと主張した。しかし米国はフランスに上陸支配しかつソ連へ東欧と東ドイツを譲ったのだ。この戦略の真の意図はソ連を利用して欧州を分断し勢力均衡を図ることだと私は見ている。つまり、独仏ソの封じ込めだ。
△欧米という枠組みの虚構
このような、大陸欧州と英米の「本質的利害不一致」が冷静終結後、表面化し、ユーロ導入からEU統合拡大という対米自立戦略をとらせるのだ。
もっとはっきり言えば、「欧米」という枠組みはもともと存在せず、英米と大陸欧州諸国はお互いを利用できる限り利用して来たに過ぎない。
このような観点から、19世紀のイギリスの首相パーマストンは「大英帝国には永遠の友も永遠の敵もない。存在するのは永遠の国益だけである」と述べた。
同盟関係は友人や親戚関係というより、ビジネス上の取引関係と捉えた方が良さそうだ。取引が成立するには利害の一致が不可欠である。特に警察も裁判所もない国際社会ではなおさらだ。
欧米は同じ白人だから、文化を共有してるから、キリスト教だからいずれ和解するという見方があるが、私はこのような見方に賛成できない。血がつながっているという理由で後継者やパートナーを選ぶといずれ失敗するのは、ビジネスをやったことがある人ならわかるだろう。国家間も同じだ。
このような歴史から、大陸欧州は英国に不信感と憎しみすら抱いている。日本人には分からないことだが、大陸欧州は英国そして現在は米国をその深層心理において蛇蠍のごとく嫌っており、蔑んでいる。なぜなら、勢力均衡が彼等の戦略だからだ。英米にとって、真の同盟国は大陸欧州に存在しないのだ。EUをつぶすため、ロシアと取引することも考えられる。WW2の時のように。
EU憲法を批准すると、英国は大陸欧州に政策決定権を握られ、過去数世紀の復讐をされる可能性すらある。
最も基本的なことは、EUの基本的理想がシャルル・マーニュのカロリング朝フランク王国の再興を理想にしていることだ。EUの最高機関であるブリュッセルにあるEU理事会ビルが"シャルル・マーニュビルディング"と呼ばれているのは象徴的だ。そして、この観点から、英国はフランク王国の一部ではないのだ。
私は英国のEU離脱を予想する。
また日本も中韓印なんかと共に共同体なんか間違って作ってしまうと、全く同じ理由で主導権は中韓になる。
その場合、金だけむしりとられ、いいように利用されるのは目に見えている。その上、今以上の犯罪者の大量流入も確実だ。
連携すべきは米(あくまでシーパワーの)であり台湾であり、オセアニア(英連邦)でありアセアン諸国家であり太平洋への出口と言う重要な地位を死守すると言う結局今と全然変わらない状態がベストだ。日本の国策としては中共の分裂を妄想しつつそれを狙った動きをとるのが良い。
△地政学的考察
地政学的な話をするなら、欧州大陸はユーラシアから見れば西端の半島だ。つまり地政学的には常にユーラシア中央部(ハートランド)から脅威を受けていた。
ヨーロッパには潜在的に異民族に対する極度の警戒心が存在する。もともとヨーロッパ人には自分が優秀だとか、偉い人種という意識よりは、あの寒い環境で食料生産性の低さ、絶えず繰り返される東からの異民族の侵入(100年に1度は大規模)など、決してヨーロッパは豊かとは云えなかった。生存競争の異常な激化こそが、あのランドパワーとしてのヨーロッパの持つ対外的な攻撃性の基本なんだろう。
カエサルの頃からあったゲルマン人の周期的なヨーロッパへの攻撃、その後のフン・ゲルマンの侵攻、100年後のアバール・スラブの侵攻、ブルガル、アラブ、マジャール、タタールの頻発的な侵攻。農業生産力が低く、つねに餓死に瀕する厳しい環境。中世には黒死病もあったし。
だからそれを避けるために大陸中央部へ進出を図る衝動に駆られる(マッキンダー)わけだが、大陸中央を制覇してしまうと、欧州の非大陸的な統治方法では、広大な大陸統治が出来ず欧州の本国まで瓦解するというジレンマを抱える。(ナポレオンやヒトラーあるいはアレクサンダーが嵌ったパターンだ)今のEUもこの轍をふみつつある。
△大西洋海上交易
欧州が、なぜ、ここ400年、世界の覇権を握れるようになったか...
それは、シルクロードをオスマントルコに押さえられたため、ジェノバ商人がスペインやポルトガルを動かし大航海時代になり、他のユーラシアの文明(主にイスラム)に比べて大西洋に近く、南北アメリカ大陸を発見することによって、ユーラシア大陸と南北アメリカ大陸間の大西洋貿易が活発になり、大陸欧州を含めて、地政学的にシーパワーになったからと思われる。つまり、大西洋の海上交易ルート確保が欧州とイスラムの近代を分けたのだ。つまり、欧州のベクトルはユーラシアではなく大西洋に向いたため、発展できた。戦後の冷戦もこの文脈で考えるべき。
要するに、オスマントルコやソ連といった強大なランドパワーがハートランドを押さえた時期は欧州は大西洋に目を向け発展し、それらランドパワーが弱体化した際はユーラシアに目を向け失敗するのだ。二度の世界大戦はこの文脈で考えるべきだ。逆説的ながら、欧州を発展させるには、ハートランドを支配し、欧州の介入を許さない強大なランドパワーが必要ということになる。
つまり、近代、現代の欧州は海洋国家として自己規定ができ、大西洋にベクトルが向いていたときは発展し、ユーラシアへベクトルが向き、大陸国家となったときはナポレオンやヒトラーを例にとるまでもなく、必ず、破綻しているという歴史的法則がある。
EUが中露との連携模索する動き、ユーラシア連合を志向しているが、この文脈で考える必要がある。かつ、中ソ同盟や独ソ不可侵条約、日ソ不可侵条約を見ても分かるが、中国やロシアと同盟を継続できた例は皆無という歴史的事実を指摘したい。
日本においても、国連中心を叫び、あるいは東アジア共同体、ユーラシア連合等を提唱する評論家が存在するが、このような点を考えてほしいものだ。日本については、勢力均衡の観点から、アメリカが阻止するという事情も有る。
やがて、欧州でも最も海洋国として有利な地域にあった英国での産業革命へと結びついた。この産業革命によって、化石燃料を輸送する上でのコストの有利不利が国家、文明間の優劣に大きく影響し、前の産業革命である。
この中で、農耕中心の土地支配を根幹とするランドパワー文明では、考えられないことが起こった。それは情報「ソフト」優位というパラダイムシフトだ。
△英国の強み
英国が世界帝国を築けたのは、この情報を支配したからだ。決して資源や領土、人口の多さではない。
現在でも、英国が大陸欧州に優位しているのは、英連邦諸国とのつながりがあり英語が共通語であることともあいまって、ロイターやBBC、ロイズといった世界的情報産業が英国に集中しているためだ。
英国には世界の情報が集まり、しかも英連邦諸国にはカナダやNZ、豪州といった農業国、鉱物資源国が存在し、技術立国の日本との補完性が高い。しかも、21世紀は環境の時代である。ユーラシア大陸はどこも環境悪化に苦しめられるだろう。しかし、豪州やNZは比較的ましな環境を維持することが確実だ。人口も少ないし。これら地域が非常に重要性を帯びてくる上に、戦略的脅威も存在しない。地政学リスクが無いのだ。(一部インドネシアとの間にはあるが)
フランス主導の欧州は、この情報の観点からは、旧植民地が多い、アフリカくらいしか優位を得られない。
EU域内を除いて、鉱物資源や農産物を抑えているわけでもない。豪州やカナダに相当する国がないのだ。
ここまで考えると、日本は英国と組んで、英連邦の発展形態である、環太平洋海洋国家連合を樹立していくしかないと思われる。アメリカがシーパワーとして参加すればそれはベストであるが、中東戦争で消耗していけば難しいだろう。だから日英主導でやるしかない。
日英同盟は先例もあるし、日露戦争当時、英国経由でもたらされた情報は世界的情報網をもたない日本にとって、死活的重要性を有した。今後も有すだろう。日露戦争に勝てたのはこの情報と金融資本の出資があったためだ。この先例を復活させる必要がある。
ビスマルクの言葉とされる、「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」べきなのだ。
△資源戦略
中国の膨脹に脅かされている石油輸入のシーレーンにしろ、シベリア石油パイプラインにしろ、安定的なエネルギー確保に不安があるのが、近代日本の安全保障上の大きな問題であった。この問題はWW2において、連合国側の対日石油禁輸から開戦に踏み切らざるを得なかった時から、少しも変わらない。
しかし、環太平洋連合諸国と共同でシーパワーとして生きる戦略を固めれば、この問題を根本的に解決しうる望みが生まれる。それは我が国が世界第6位、451万平方キロに及ぶ200海里排他的経済水域(EEZ)を持っていることである。この広大な海洋を開発することで、我が国は一挙に資源・エネルギー大国となりうる。
海はエネルギーの宝庫でもある。波力発電、潮汐発電、海上風力発電などは自然に優しいエネルギー源である。また海底に眠るメタンハイドレートは天然ガスに替わるクリーンなエネルギーであり、日本周辺の埋蔵量は、日本の天然ガス消費量の約100年分に相当すると言われている。これらを開拓すれば、エネルギーの自立も夢ではない。海底にはマンガンやコバルトなど、近代工業に不可欠の戦略物資も豊富に存在している。
また食料面でも、我が国の魚類養殖は世界で最も事業化が進んでいるが、その技術をさらに発展させて人工的に孵化した稚魚を海に放流して、自然界の生産力によって成育させる「海洋牧場」が実現すれば、食料の自給率を大幅に上げることができ、今後の食糧危機にも相当の対応ができるようになる。
さらに海上に巨大な鋼鉄製ブロックをつなげて浮かべる「メガフロート」により、海上空港や、海上都市の実現も実用レベルに近づいている。これにより、国土の狭さも問題にならなくなる。
世界第六位の広大な経済水域に、我が国の先進的な科学技術を適用すれば、資源・エネルギー・食料の豊富なシーパワー大国としての未来が開けていくだろう。海こそが我らのフロンティアである。



