

前回の連載コラム8では、楽園ロタ島の歴史とコミュニティ(地域社会、共同体)についてお話した。ロタ島の楽園を壊さないために、さらにロタ島をもっと楽園にするために、そのコミュニティにおいて「競争から協調への転換」を提案した。今回はその続編とでも言うべきもので、住民が自由にしかも他人に迷惑をかけずに生きることができる方策を提案したい。
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1.楽園では皆が自由奔放に生きる
ロタ島のヴィジョン(理想像)は「楽園」だ。楽園には悲惨な環境戦争も、難しいエネルギー問題も、過酷な生存競争も、そして窮屈な規制もない。皆が「自由奔放に生きる」ことができるのだ。
しかし、現実のロタ島には、環境問題もエネルギー問題もある。過当競争や厳し規則はまだないが、このまま行けば間もなく実施されることは目に見えている。そうしなければ、環境悪化を食い止めることができず、住民の生活が厳しくなることを避けられないからだ。また環境や経済の状況が厳しくなると、自分だけ生き延びようと考える者が現れて生存競争が激しくなる。今まで規則で縛らなくても自分たちでセルフ・コントロール(自己規制)できていたものが、うまくいかなくなり、より厳格な規則を必要とするようになる。
......少なくとも、そう信じられている。本当だろうか? 他に道はないのか?
ロタ島のヴィジョン(理想像)が楽園なら、環境問題もエネルギー問題も過当競争も規則も......我々の日常生活や人生を圧迫したり束縛したり窮屈にする物は何であれ、好ましくない。規則も止むを得ず採用する必要悪なのだ。
環境問題、エネルギー問題、過当競争をどう躱(かわ)したらよいのかについては、これまでのコラムでお話してきた。今回は、我々の生活を束縛する厳しい規則を不必要にする手法についてお話しよう。
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2.環境に気を使う生活は窮屈ではないか
我々には環境のことを憂い、環境に配慮して生きる自由がある。と同時に、環境に興味がなく、環境を考えないで生きる自由もあるのではないのか?
本当にそんな自由があるのだろうか? そんなことを許したら、地球はメチャメチャになってしまうのではないか?
今まで我々は「環境に配慮しない自由」を対応策なしに許してきた(注1)。その結果、地球はメチャメチャに近い状態になってしまった。このまま自然環境を壊し続けてはそう長いことは行けないだろう。
現状では......
環境に配慮しない行為は、世界中の人類や子供たちにまで迷惑をかけることになる。他人に迷惑をかける自由や権利は、誰にもない(少なくとも私は認めない)。だから、環境に配慮しない生き方はしてはいけない。人類や地球に生きる動植物への背信行為、いやもしかしたら犯罪行為とも言えるものだ。
......という論理展開となる。
しかしながら、環境配慮というと、あれをしてはいけない、これをやってはいけない、ああしろ、こうしろ......と、煩わしいこと極まりない。クルマは大気汚染が大きい、海外旅行は環境負荷が大きい、ご馳走はエネルギーを沢山使う、ゴミはリサイクルするために分別しなくてはならない、などなど......これらはほんの一例でしかない。しかも、それが時と共にどんどん変わったりして、我々の日常生活をとても窮屈にしているように思う。
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3.自由に生きるために:プレミウム(ボーナス)とペナルティー
我々は環境のために本当にそんなに窮屈に生きなければいけないのだろうか?
たまには旨い物も食べたいし、よい音楽も聞きたいではないか。しかも後ろめたさを感じながらではなくだ。もっとゆったり生きることができないのか?
いや、できるのだ!
それが、近自然学が提案する「環境貢献プレミウム(ボーナス)」と「環境負荷ペナルティー」の導入である。
人は誰でも、美しい環境の中で豊かで充実した人生を、健康で幸せな人生を送りたいと願う。しかし、豊かさの定義は人によって違う。精神的な豊かさを大事にする人もいれば、物質的な豊かさに重きを置く人もいる。だから、個人の希望によりその両方を過不足なく実現できる自由度を確保したい。
「環境貢献プレミウム(ボーナス)」と「環境負荷ペナルティー」が導入されれば、その自由度はかなり大きくなる。
環境負荷は人類の共有財産である自然や環境を壊す。現状では環境負荷はタダである。壊れた自然や環境の悪影響で金銭的にも人類の健康上も莫大な損害が生じるにも関わらずだ。また、壊れた自然や環境を修復するために莫大な費用がかかるが、それらは皆が税金などの形で支払わされる。つまり、自然や環境を壊す者には費用がかからない。逆に環境に配慮する行為には費用がかかる。ビジネスでは費用が増すとコストアップになり、価格競争において大変不利になり会社などの経営を圧迫する。
これではフェアでないし、自然や環境を壊すことを奨励しているようなものではないか。これはマズイ。そこで、環境負荷行為にはペナルティーを課して抑えたい。逆に、環境に配慮した行為にはプレミウム(ボーナス)を出して支援しようというわけだ。

このシステムが導入されれば、他人に(それほど)迷惑をかけずに済む。だから、自由に生きることを認めても良いのではないか。
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4.環境貢献にはプレミウム(ボーナス)を
地球環境をこれ以上壊さず、人類がなんとか生き延びるために、環境に配慮した行為や活動や商品を増やしたい。そこで、それを行う個人・団体・企業などを心理的物理的に支援するツール(道具・手段)が「環境貢献プレミウム(ボーナス)」だ。環境に貢献する行為だけではなく、多くの人が普通にしている環境負荷行為を意識的にしない場合にも適用される。これはとても重要な間接的に環境に貢献する行為なのだから。
このプレミウムには、どんな形があるのだろう。例えば、環境に配慮した行為や活動や商品に対して、報賞金、奨励金、補助金、税金免除、ラベリング(認証制度)、表彰、名前公表などの形でバックアップすること。また、もう少し消極的な形としては、環境負荷ペナルティーが課せられないこともある。

具体的には、太陽エネルギー利用施設への補助金、環境貢献プロジェクトに対する税金免除、有機農産物のラベリング(写真)、オフィスの近くに住めば家賃の10%を援助、省エネ製品リストの公表などだ。

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5.環境負荷にはペナルティーを
環境に負荷をかける行為や活動や商品を抑えたい。そこで、それを行う個人・団体・企業などを心理的物理的に制裁するツールが「環境負荷ペナルティー」だ。環境負荷行為だけではなく、市民なら行うことが当然である環境貢献行為をしない場合にも適用される。このペナルティーは、人類の共有財産である自然環境を壊した者に課す弁償だ。生じたコストを加害者が負担することで加害者負担原則と言う。つまり、壊した者が支払えということだ。
例えば、環境に負荷をかけると思われる行為や活動や商品に対して、罰金、関税、税金増額、勧告・警告・指導、懲罰、名前公表などの形で対処することが可能だ。また、ここでも消極的なペナルティーとして、一般的な援助や手当てを出さないことも考えられる。

具体的には、ゴミの有料化(有料のゴミ袋に入れないと回収しない)(写真)、ガソリン税の増額、原子力発電による電気料金の値上げ、通勤手当・住宅手当などの支払い停止、環境負荷消費税の導入などだ。

ガソリンは燃やすと排ガスが出て大気汚染という環境負荷がある。そこで、ガソリンに対してこの環境負荷ペナルティーを適用すると、現在の価格の6〜7倍ほどになると言われる。これは原油価格の高騰とは別の話だ。それだけの料金をガソリンに払うなら、クルマやモーターボートに乗ることも自由である。
ガソリン価格がそんなに上がったら、トラック輸送など成立しなくなるではないか......という反論が来るに違いない。しかし、その通りなのだ。トラック輸送が全くなくなるわけではないが、少なくとも長距離輸送は消滅し、エネルギー効率の良く環境負荷が少ない、従ってコストの安い鉄道や船舶が取って代わる。トラック輸送は電気カーや水素カーを使っての、都市内など近距離の限られた空間での集配だけとなるだろう。
つまり、近い将来、クルマは趣味の対象となるのだ。
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6.「環境ファンド(基金)」にプールする
環境負荷ペナルティーを支払えば、環境負荷行為も許される。......そうなると、「お金持ちは何をしても良いのか?」という批判が来そうだ。そうではない。お金を払えばどんなことでも勝手気ままにしてよいわけではない。そこには自ずと社会的なコントロールとブレーキがある。また、お金持ちをお金を持っているという理由で非難することはできない(注2)。むしろ、そのお金を社会のために使ってもらおうではないか。
プレミウム(ボーナス)の財源はペナルティーから得られる。世界的に税収が減って、国や地方自治体は財政が苦しい今、これは魅力的な財源ではないか。
近自然学ではペナルティーや募金や政府などからの収入を、「環境ファンド(基金)」にプールすることを提案したい。そして必要なら、ここからプレミウム(ボーナス)を支払ったり、環境対策を支援するのだ。
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7.結論:やりたいことをやり、やりたくないことはやらないこと
誰でも、自分の豊かな人生にとって重要な物とそれほど重要ではない物があるに違いない。だから、その重要な物は手に入れ、それほど重要ではない物は放棄すれば良い。放棄と言っても、大して重要ではない物なので、全然苦にならないだろう。
例をあげよう。
Aさんは、クルマが好きで休日のドライブはどうしてもしたいが、海外旅行はそれほど必要ないし、オーディオはカーラジオで十分と言うかもしれない。またBさんは、毎年新しい流行のクツがどうしても欲しいが、クルマは全くいらないし、肉食は週一回ほどで十分だと言うかもしれない。さらにCさんは、最新のコンピューターと高速インターネットは絶対に欲しいが、電子レンジもテレビもクーラーもいらないと言うかもしれない。そしてDさんは、気心の知れた仲間と楽しむ美味しいご馳走は絶対に欲しいが、携帯電話はいらないし、住居は都市内の小さなアパートで十分と言うかもしれない。またEさんは、スキーは毎冬したいが、お酒も煙草もいらないし、自宅を仕事場してもよいと言うかもしれない。

それぞれの人が、自分の人生にとって大事な物を手に入れ、やりたいことをやる。しかし、大して重要ではない物は手にせず、やらない。もし自分の人生にとって重要な物が環境負荷が大きいなら、その負荷に見合ったペナルティーを支払ってでも手に入れ、やる。また逆に環境負荷が大きい物を放棄するなら、プレミウムを得る。それら全てを個人の自由な判断に任す。なにしろ、その人の人生の豊かさや幸せに関わることなのだから、他人にとやかく言われたくないではないか。
こうすることによって、とても開放的な社会が実現でき、自由な人生が送れるではないか。
皆さん、この考えに賛同していただけるだろうか?
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充実して幸せな人生が送れることは素晴らしい。そのために、自由、豊かさ、健康などはとても大切だ。今回は自由をテーマにお話した。次回は、豊かさに密接に関わるビジネスについて考えたい。
2006年11月15日、スイス近自然学研究所にて
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注1)「環境に配慮しない自由」を対応策なしに許してきた
今まで、人類の共有財産とも言うべき自然や環境を壊しても、弁償責任を問われなかった。
だから、環境負荷ビジネスが儲かり、競争に勝つ。環境に配慮すると経費がかさみ、競争に負けてしまう。負けて企業が倒産しては元も子もないので、勝つためになりふり構わず環境負荷ビジネスにまい進することになった。その結果、国土は荒廃し、地球の自然環境はメチャメチャに......(ほとんど)なってしまった。これはでマズイ。
注2)お金持ちをお金を持っているという理由で非難することはできない
それは持たない者の単なるやっかみかひがみかもしれない。または、イデオロギーとしての共産主義を求めていることを意味する。確かに、全ての資産は皆の共有物であるという共産主義は楽園の状態に近いとも言えよう。そして、実際にトライした人たちがいたのも事実だ。しかし、ソ連、東欧、中国、北朝鮮など、人類の歴史はその試みが理想の高さとは裏腹にひとつとして成功しなかったことを示している。どうやら、資産を持つことは、悟り切れない我々生身の人間にとって大事なことのようだ。



