サツマイモとは何か
中米原産とされる作物です。大航海時代にアメリカからヨーロッパに渡来しました。日本には中国経由で沖縄県に渡来しました。元禄十一年(1698年)三月、時の種子島島主、第十九代種子島弾正久基公が琉球の中山王尚貞より、一籠を贈られてたそうです。種子島から鹿児島に渡来し、さつまいもは飢饉時への対策として、急速に普及が進められ、その後の薩摩地方では餓死者は皆無だったとされています。
小石川療養所
元々は東京大学が開設した施設ではなく、江戸幕府によって開園された、小石川御薬園(こいしかわおやくえん)であった。幕府は、人口が増加しつつあった江戸で暮らす人々の薬になる植物を育てる目的で、1638年(寛永15年)に麻布と大塚に南北の薬園を設置したが、やがて大塚の薬園は廃止され、1684年(貞享元年)、麻布の薬園を5代将軍徳川綱吉の小石川にあった別邸に移設したものがこの御薬園である[1]。その後、8代徳川吉宗の時代になり敷地全部が薬草園として使われるようになる。1722年(享保7年)、将軍への直訴制度として設置された目安箱に町医師小川笙船の投書で、江戸の貧病人のための「施薬院」設置が請願されると、下層民対策にも取り組んでいた吉宗は江戸町奉行の大岡忠相に命じて検討させ、当御薬園内に診療所を設けた。これが小石川養生所であり、 山本周五郎の連作短編小説『赤ひげ診療譚』や、この作品を映画化した黒沢明監督作品の『赤ひげ』は、養生所を舞台とした医師の物語である。なお、御薬園は、忠相が庇護した青木昆陽が飢饉対策作物として甘藷(サツマイモ)の試験栽培をおこなった所としても有名である。
出典:小石川植物園(本園)
江戸時代、関東地方を襲った享保の大飢饉時にサツマイモは実績がありました。将軍徳川吉宗、大岡越前守忠相の命を受けた蘭学者の青木昆陽によって、小石川療養所を始め日本全国に広められました。
昆陽寺、昆陽神社、昆陽池、昆陽という地名など日本各地に昆陽と言う文字が有るのは人々が青木昆陽を芋神様と称えた結果です。薩摩地方では、「カライモ(唐芋)」と呼ばれますが、「さつまいも(薩摩芋)」と呼ばれるのは普及のきっかけとなった薩摩地方を称えての事です。
後には天明の大飢饉などで多くの命を救ったと記録にあります。
国産農作物の種子は9割が輸入です。人間はできるからするのではなく、やらないと生きていけないからする生命です。ある程度のギリギリの状態にならないと変革は難しいでしょう。社会に賢い人がいれば愚かな人がいるのが道理です。賢い人は将来を洞察できますが行動しなければ自滅する事を知る人は少数です。ここに調和と揺らぎがあります。例え、愚かでも、先に動けば勝てるという事です。この世に不正があるから勇気が存在できます。この世が全て公正なら勇者はその存在意義がありません。また、智者も同じでこの世に愚者がいるから存在できます。これほど面白い時代はありません。昨日と同じ今日が永遠に続く事を望む生命もいるでしょう。しかし、恐竜が滅びたように天体が動き環境が変化する以上、環境に合わせて変化しなければ滅亡することになります。今回は土台が移る時です。コンピューターでいえば、演算や記憶量を競うのではなく、誰と光速に接続されているかによって、性能差がでます。最新鋭マシンでもインターネットに高速接続できなければ映画も観れません。『連山』を読み、『秋月便り』を読む事もできません。携帯電話でいえば誰の電話番号が登録されているかが重要なのです。
2008年12月18日の号外にあるように一つの次年度カリキュラムが組まれました。工芸組合(洋裁和裁家具)でも良いですし、発電組合でもいいので、遠隔教育で実行したいカリキュラムを提案して下さい。参加する事、実行する事によって知識は完成します。
遠隔教育『秋月』には評論家も、不平屋も、必要ありません。必要なのは學び行動する勇気がある人間だけです。それが共感を呼びます。
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