大企業にお勤めの理工系の皆様、米国における住宅バブル・サブプライムローン問題が発覚して3年、リーマンショックが起きて1年半が経過しました。マスコミでは、未だに、景気アンケートを実施して「景気は緩やかに回復」との報道を流したりしています。
ですが、皆様の会社において、本当に景気が回復しているでしょうか。景気循環で偶々増えた需要を、H22年度の新人採用も絞込んだ上で既に限界に達している既存陣営で何とかこなしているのが実情ではないでしょうか。いわゆる、「デスマ」です。
大企業と云えども銀行より運転資金の融資を受けなくてはならず、減収減益であるとは公表できません。ですから僅かの好成績部分を誇張して「緩やかに景気は回復」と云わざるを得ないのでしょう。
大企業と云えども銀行より運転資金の融資を受けなくてはならず、減収減益であるとは公表できません。ですから僅かの好成績部分を誇張して「緩やかに景気は回復」と云わざるを得ないのでしょう。
著書「理工系離れが経済力を奪う」において、国富の4分の3を稼いでいるのはエンジニアたちだ!と主張する今野浩氏の視点は、やはり大量生産・大量消費・大量廃棄の20世紀型中央集権型大企業、大手メーカに力点を置いた観点であると言えましょう。確かに、20世紀型の大量生産メーカにおいて、理工系のエンジニアたちが国富を稼ぐ上で多大な力を発揮してきたことは事実です。
しかし、専門分野に別れ、個別の分野で蛸壺的に先端技術を追求してきた結果、技術のガラパゴス化に陥ってしまいました。いくら最先端技術を盛り込んで、多機能な携帯電話を製造しても、世界シェアでは3%にも満たないようです。国内のSIM規制で守られてきた独占的な市場シェアも、SIMロック解除と共に減少すると、さしもの高機能携帯電話を設計し、製造する技術があっても売れなくなってしまうのです。
しかし、専門分野に別れ、個別の分野で蛸壺的に先端技術を追求してきた結果、技術のガラパゴス化に陥ってしまいました。いくら最先端技術を盛り込んで、多機能な携帯電話を製造しても、世界シェアでは3%にも満たないようです。国内のSIM規制で守られてきた独占的な市場シェアも、SIMロック解除と共に減少すると、さしもの高機能携帯電話を設計し、製造する技術があっても売れなくなってしまうのです。
「世界の半分もよく理解もしていない」文系マネージャたちに非常に酷な云われ方をしています。曰く、「理工系エンジニアが視野狭窄に陥った結果である」とか「蛸壺化した結果だ」というのです。ですが、最大の原因は、全体を統括する部門の無定見と無批判な国際化の推進、そして、理工系エンジニア側の最大の理由は、要素還元主義に身も心も毒されて、各人がアトムのように分断されていることにあると考えています。
東京大学を除いて、現在、多くの大学では学部での教養課程が廃止されて久しい情況にあります。教養課程の廃止に伴い、高校レベルの学習内容からの題範囲で入試問題を作成する能力が大学側から失われたという批判があります。その一方で、入学当初の1年生から専門教育に入れるという一見して専門家養成に好都合な大学改革がなされたわけです。しかし、この大学改革は、本当の意味での専門家養成に有効に機能したと言えるのでしょうか。単に、1年か2年、専門科目を始めるのが速くなったというだけで、実際のところは教科内容の消化不良を招いただけでなく、さらには、就職活動が早まったこともあって、学生の専門教育は以前より低下しているというのが実態ではないでしょうか?専門教育が充分でないだけでなく、彼らは一般教養というものも不十分ではないのか、というのが実態ではないかと思われるのです。このことは、突き詰めると、現在養成されている理系エンジニアたちから、益々、世界の都合や体制を読み取る力を奪う結果になっているように思われてならないのです。
欧米先進国はISO/IEC規格などで世界標準を作り、その標準に準拠しない製品を市場から締め出すと共に、ISOやITUを始めとする標準化会議を開催する権利を独占して放しません。こうした標準化戦略で大失敗した例は沢山あります。古い例ですと、ビデオ方式のベータマックス(SONY)とVHS(日本ビクター)の戦いが在りました。最近では、ブルーレイディスクとHDVDの規格の戦いがありました。結局、技術的に優位であってもベータは大量に普及したVHSに勝てなかった。また、1980年代には、NECを始め、国内には多数のパソコンメーカが群雄割拠していたましたが、ソフトウェアの統一規格としてMicrosoftのDOS Vが標準規格となり、それが発展してWindowsマシンが普及すると、国内メーカの作成したマイクロプロセッサはパソコン市場からたちまちに駆逐されてしまいました。
特許による技術囲い込み、という戦略も欧米が定めたルールです。そのルールに忠実に従っている日本は、果たして本当にその恩恵を手にしているのでしょうか?日本の特許は、優れた特許検索エンジンにより世界中に公開されています。中国を始めとする新興国は、先進国の有する特許をどんどん分析解析して、研究開発投資をすることなくキャッチアップにつとめ、コピー製品を作成していることが新聞紙上で騒がれています。たとえ、知的所有権を侵害していたとしても、価格の安さで猛烈な勢いで先進国の市場を襲撃してきます。これでは、先進国のメーカはたまったものではありません。国内の人件費が高いので、海外へ、新興国へと工場を持ってゆくということが流行ったわけでが、その結果起きたことといえば、国内の産業空洞化、購買力の低下、さらには、全体的な技術力の低下、教育機能の低下でしょう。
高級品を欲しがるユーザが大勢いてこそ、技術は切磋琢磨して進歩します。意欲のある若者たちを派遣労働者として低賃金労働に貼り付けることで、高級品を求める意欲を失わせている一方で、メーカはメーカで、スペックダウンした廉価版大量生産品を普及させています。これでは、技術を開発する立場からすると、ネガティブスパイラルに他なりません。また、高級品そのものを作ることにあまり熱心ではない新興国の企業にとっては格好の市場参入口となっていると言えましょう。
このまま何もせず、このような負のスパイラルを続けていれば、日本の製造産業は全て消えてしまうのかもしれません。今まで国内メーカに勤務していた理工系のエンジニアたちは、数年先には日本国内にはもはや勤務先は存在せず、某大陸へと移住しなくては仕事がなくなっていることも想定されるのです。
メーカ勤務を卒業したら、大学へ戻って後進の育成に励もう、などと思っていた高齢者エンジニアも沢山います。ですが、そもそも大学における理工系の講座そのものが減少しています。若者が理工系離れをしている以上、理工系の先生ばかり増やすわけにも参りますまい。また、理工系講座を開設しても、熱心に聴講しているのは、日本人の学生ではなくて、中国人や韓国人、ベトナム人やタイ人という有様です。国立大学は日本国民の税金でまかなわれていますが、そこで高度な技術を習得してゆくのは外国人留学生ばかり。つまり、研究室に残って博士号を取得していくのは外国人留学生ばかり。日本人で、博士号取得に意欲を燃やしたりした日には、「末は博士かホームレスか」という事態に陥ってしまっているからです。外国人留学生らはいずれ帰国して母国の産業発展に尽力するので、究極的には日本に国富をもたらすのではなく、彼らの母国に国富をもたらすことになるのです。
「そんな了見の狭いことを云うな、日本が国際貢献するには、そうした手段しかない」という「友愛精神」に富んだ御仁もあるかもしれません。かつて、米国が敗戦後の日本に対して昭和時代の間、同様なことをしてくれました。その恩返しだという考え方もあることでしょう。しかし、米国エンジニアたちが胸襟を開いて、日本人エンジニア達に先端技術を教示してくれていたのは、東西冷戦という国際的緊張関係があった故の恩恵と言えるのではないでしょうか。
冷戦が終了し、ベルリンの壁崩壊以後は、東西冷戦と基調とする世界体制は完全に変化してしまいました。現在の米国留学は完全にgive and takeです。一方的な持ち出しあるいは持ち帰りはありえないのです。米国大学等の研究室で研究した内容を、そのまま本国へ持ち帰ろうとすると、知的所有権の侵害などで訴訟される情況になっているのです。
こうした点について、「日本の大学は甘い。アジアに対しても非常に甘い。欧米のルールを厳密に踏襲することが出来ていない」と批判することは容易ですが、そうした体制面での非対称性に気が付くまもなく、外国勢力に云われるままに形だけ国際化を推進してきた結果と言えるでしょう。
結局、国際標準化活動で負け、色々なルートで折角苦心惨憺の末に開発した先端技術もどんどん流出し、また企業の金融・財務面のみを重視した「なりふり構わぬリストラ」で、技術を持った熟練者達もアジア系企業へ流出、詰る所、国内のメーカはその技術力の大半を失ってしまったと認識すべきなのです。それでも、日本のメーカがなんとか持ちこたえて廻っているのは、少数ですが組織に残って何とか踏ん張って頑張っている良心的なエンジニア達のお陰といっても言い過ぎではないはずです。
現在では、簡単な試験や試作をすることが非常に困難になっています。先ず、そもそもどうなっているか分からないので、実験室で試験・研究をするのですが、その企画の段階で厖大な事務処理と会議手続きを経なくてはならないようになっています。それだけでなく、リーマンショック以後は、その研究をすることの意義やらそれを研究することでどれくらいの将来利益が見込まれるかまでもが問われるに至っています。実用化開発の段階や実用化志向の強い研究ならいざ知らず、基礎段階レベルの研究テーマに対してさえも、その有用性だとか将来見込まれる利益について問うというのでは本末転倒ですね。
研究の現場に身を置いてみればすぐ判ることですが、色々と外部条件(温度や圧力、電場や磁場)などを変化させて現象の変化を追求したり、いろいろ物質合成の条件を変えてみたりして試したい、わけです。勿論、そうした実験に入る前には、物理法則や化学法則に従ってシミュレーションやらなにやら色々やります。これらの作業は研究本来の作業ですから必要なものです。そうして、各種データを収集し積み上げてゆくことで研究が進みます。ところが、そうした試行錯誤が簡単には実施できなくなっているのです。
先ず、かつては沢山供給されていたはずのレーザーや電子部品などが、メーカ側の選択と集中のせいと思われますが手に入らなくなりました。また、特注で製作を頼む場合でも規定数量(最低100個!とか)を要求されたりします。さらに、熟練テクニシャン達をリストラしてしまった結果、多くの作業がアウトソーシングされました。そのため、ちょっとした手直しをするのにも図面を書いて打ち合わせを行い、伝票を起票して依頼し納品して戴いてやって実験開始!ということになったわけです。かつて作業室で自ら工作していた頃が非常に懐かしいくらいです。曰く、人件費の高価な日本人エンジニアにそんな手作業をやらせるわけに行かない、というのがマネジメント部門の言い草ですが、それなら、アウトソーシングすることで節約できた経費とそのアウトソーシングするために発生する打ち合わせ、資料作成、見積もり、伝票起票、納品といった一連の作業に対する稼動に対する経費を正確に評価してどっちが実際に有利なのかを公開して戴きたいものです。
このように、国際会計基準の導入とか、アウトソーシングによる固定費削減とか、無批判な国際化の推進により、研究開発の現場における情報エントロピーの増大は厖大なものになりつつあります。
情報エントロピーの増大は、開発にせよ研究にせよ「作業全体のスピードを奪う」という研究開発企業にとっては致命的とも云える打撃を与えています。特に、開発ともなれば、試作と不具合の手直しというフィードバックの循環を早く回転させることで、製品を仕上げることが必須となります。少ない人的陣営でそれを行うと強行軍になるばかりでなく、ミスも多発し、結局、スケジュール全体の遅れを招いてしまいます。
それ以前に、現在横行しているのは、企画マネジメント部門と現場各部門との遊離でしょう。アライアンスの奨励と称して、やたらと技術提携を外部と行いたがるのも問題です。自社技術を信用せず、すぐに調査会社を使って外部調査をやらせたりします。自信喪失状態なのでしょうか?不信感の塊?なのでしょうか。
これも、各人が孤立化し、分断化されていることの現われと見るべきでしょう。専門家集団のトップが、現場技術者の仕事内容を理解せず、技術的に正しくない判断を下したりすればもっと事態は深刻になることは云うまでもありません。
これも、各人が孤立化し、分断化されていることの現われと見るべきでしょう。専門家集団のトップが、現場技術者の仕事内容を理解せず、技術的に正しくない判断を下したりすればもっと事態は深刻になることは云うまでもありません。
では、こうした袋小路に落ちいったメーカ大企業はどうすれば失地を回復できるでしょうか?否!こんなメーカとか企業とかそういった組織レベルの問題ではないのでしょう。要素還元主義的に専門分野に分化し、傍目から、「蛸壺化している」などと「世界のことを半分を何も理解していない」文系マネジャーに冷酷に批判されている理工系エンジニア個々人にとっての解決策こそが重要です。その技術者集団が研究部門、開発部門を構成するのであり、その部門集団の集まりが研究開発企業の骨格であるからです。それについては、次回、電動バイクイベントを中心に考察してみたいと思います。
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